読書記録_本心
『本心』
平野啓一郎著
平野啓一郎の最新作。
安楽死が合法となった近未来の格差社会日本で、亡くなった母のAIをつくり、母の本心を探る。社会問題てんこもりの純文SFミステリー。こういう作品に出会うと、ジャンル区分の限界みたいなものを感じる。
以下、一部ネタバレありの感想。
「本心」、すなわち「ほんとうのこころ」とはそもそも存在するのだろうか?という疑問を抱きながら読み始めた。
どこからが自分の考えで、どこからが他人の受け売りなのか、読んだものの引用なのか、明確に区別することは私にはできない。自分の考えだと思っているものさえ、状況によってある程度変わるような不確かなものだ。
母のAIをつくって母の本心を探る、という主人公の行動は、いまのところ、わたしとは相容れないし、それゆえ興味深い。
平野啓一郎は、「分人主義」という考えを主張している。相手に応じて異なる自分のどれもが、まるごと自分である、というような考え方である。
この物語でも、分人主義のもと、主人公や母が描かれている。
はじめ、主人公は、亡くなった母と、同業の岸谷くらいとしか、継続した交流がなく、29歳にしては母に依存し過ぎているように見えた。
物語が進むにつれ、三好やイフィー、ティリとの出会い、誰といるときの自分でありたいかを軸に変わってゆく。
ヒーローのように行動することができるのも、
格差社会を憂いて無敵の人として犯罪に走るかもしれないのも、母親に依存気味であるのも、ぜんぶ主人公自身だ。その考え方は、常にヒーローであらねばヒーローではないということを否定するという意味では、あらゆる自分を認めてくれる支えとなるし、また、特定の条件下での自分の思考についても責任を持たねばならないという意味では、自己に厳しいものでもあると思う。
生成AIの誕生によって、死者のVFに近いものはリアルに想像できる。会話だけならば、もうすぐ実現できるだろう(倫理的な問題や、死者のデータのプライバシーなどは置いておくとして) 。
家族が亡くなったとき、死者のAIをつくりたいと思うだろうか?今、想像するのは親のものだ。自分がAIを看取れないからつくらないかもしれない。もし、それが自分の子供のものだったら?逆に子供のAIになら、自分を看取って欲しいと思ったりするのだろうか。
家族であろうと、知らない一面があって、完全にわかり合うことはできない。わからないけれど、わかろうとし続けるしかない。さいごに最も心に残った一文を引用する。