読書記録_ユートロニカのこちら側
『ユートロニカのこちら側』
小川哲著
早川書房
監視社会で暮らす人々やその周りを描いた連作短編集。『地図と拳』がずっと気になっていたけれど、はじめて読む作家の作品としては分厚すぎて尻込みしていたので、まずはデビュー作のこちらから。ハヤカワSF大賞受賞らしい。
正直に言うと、これが大賞って本当?と思ってしまった。期待が大きすぎたのかしら。ほかの分厚い作品を読む弾みになるはずが、辞めておこうか迷っている。成長(なんて上から目線な言い方)が見えそうな点では気になるのだが。
舞台はアメリカのアガスティアリゾート。ここで暮らす人々は、自分の視覚・聴覚などの情報をほぼすべて提供するかわりに、収入が保証され、働かなくとも暮らすことができる。監視されながら生きる人生とは。罪の範囲は。自由の意味の変化。ひとの意識とは。哲学の思考実験ともいえそうな群像劇が描かれる。
監視社会のおはなしだから、というわけではないが、『1984年』と『PSYCHO-PASS』と、『トータルリコール』と『ハーモニー』を足して割った印象。あまりにも既視感のある設定が多い。設定だけならまだしも、短編のオチや結論にも既視感がある。3章4章はPSYCHO-PASSで同じこと言ってたなと思い出されるし、5章6章はハーモニーのオチそのもの。SF作品で、設定が似通うのは致し方ないと思う。意図的なオマージュでもあるのだろうし。似た設定であっても、細部を描き切って独自の結論を導いてくれないと、一体何がしたかったのか伝わらない。わたしはSFをそんなに読むほうではないのにこう感じるのだから、それなりに読むひとならたぶんもっと。
アガスティアリゾートの根幹、個人情報の監視を許可することで金を受け取る仕組みがフワッとしている(と感じさせる)のが、二番煎じ感の大きな要因だとおもう。一体どうやって何万人もの視覚情報を同時に処理するのか。データの貯蓄はどうするのか。視覚・聴覚の情報だけなら個人に直接監視用デバイスをつける意義はあるのか。行動・意識の予測ならば脳波の情報は不可欠に思えるがどうしているのか。人の行動の予測のためのデータはなぜライブのものでなければならないのか。リゾートでの似たような生き方の人々、つまり負担のない楽な選択にほぼ決まった人々の情報に、企業が金銭を支払い続ける価値があるのか。これらの疑問については何も答えてくれない。
複雑なシステムで最早だれも把握できていないAIを基にしているから、というのは上の疑問の答えがない理由にはならない。複雑なAIであれ、実地運用するためには、根本のシステムは人間がつくるしかない。この作品には、それがないからリアリティが薄いのではないか。
人物描写や情景描写も薄味。アメリカが舞台で、翻訳調の文体だから(章によるけれど)淡白に済ませたのだろうか。物語のほとんどが、会話と語り手の思考から成る。これらを盗み見ても、語り手のことが理解できるわけではないというアガスティアリゾートへの皮肉なのだろうか。何か一つくらい読んでいて心に残る風景が欲しかった。名言めいたものはいくつもあるだけになおさら。
面白かったのは、5章の「ブリンカー」。認知症の祖父を持つユキがテロを起こそうとする話。薬で認知症が改善できるのに、薬の副作用で自らの人格を変えることを良しとせずに、治療を拒否して、結果的には認知症で元の人格から変わり果ててしまった祖父。その介護を行う家族の苦悩。この章はユキと祖父が生き生きしていたとおもう。作者はSF的な細かなことよりも、社会問題を描きたかったのかもしれない。