45歳になった私が1年を振り返ってみたら、過去最高に生きやすくなっていました
はじめに
こんにちは。
株式会社エイチームコマーステックの望月と申します。
名古屋に本社がある株式会社エイチームの100%子会社として、2年前に設立されたとても若い会社で経営デビューし、代表を務めています。
そんな経営者として未熟な私が、日々成長するために様々なインプットや思考を繰り返す中で、気づいたことや分かったことなどを発信するnoteを毎月書いています。
どんな記事か
「人生は選択の連続である」という言葉を聞いたことがない人はいないと思います。
44歳の一年を振り返ってみると、選択をしていく中で最も大切なのは、自分の中にある期待を明確にしておくことだということを実感できた年でした。
期待を言語化することで、気持ちに余裕が生まれて必要以上のストレスがなくなったり、時間やお金にも余裕ができたことでQOL(Quality of life)が格段に向上します。
逆にいうと、自分の期待を言語化することの大切さに気づく以前は、本当は欲していないはずのことに対して時間やお金を浪費し、感情が揺さぶられていたため、今よりも生きにくかったと思います。
「生きやすい・生きにくい」という言葉がどこまでフォーマルかは置いておいて、この記事の中ではシンプルに「自分らしく生きて、人生を豊かにできているか」という意味合いで使用しています。
この記事では、私の背景や気づきを得る過程などの一連の流れを文章化したものです。
45歳という年齢や、これまでの奇跡的な人や組織との出会いの上に成り立つ、かなり再現性の低い話かもしれませんが、生きにくさを感じている人のヒントになれば嬉しいです。
社会人の初期
44歳の1年間で気づいた、と冒頭に書きましたが、実は社会人一年目には実践できていました。ただし、無意識的に。
私が社会人として第一歩を踏み出した2001年の日本は、「就職超氷河期」の真っ只中でした。
当時人気だった金融やメーカーといった大企業の多くは新卒採用を絞り、「本年度の新卒採用は見送り」といった企業も少なくない中で、学生の選択肢は限られていました。
多くの選択肢の中から選ぶことができなかった当時に、私が考え続けていたのは「最低限手に入れたいことはなんなのか?」でした。
当時の私は人生について深く考える習慣はなかったのですが、氷河期の当時でも積極的に採用を行っていた職種や業界はいくつかあったのでその中から選ぼうとしていました。
20年以上も前の記憶で定かではないのですが、商品先物取引の営業やパチンコホール、外食産業や小売店の中でもベンチャーとして急拡大している会社をよく目にしたように思います。
それらの会社はどこも、離職率が高い・仕事がきつい・会社が厳しいといった情報が多かったので、自分が社会人として手に入れたいことを明確にし、それ以外は手に入らなくても構わないという覚悟が必要でした。
その結果として、私は自分の期待を「物理的・経済的に自立すること」と「成果で評価が決まること」という二つに絞り込み、それに合致するユニクロに入社しました。
ユニクロでの仕事は壮絶でしたし、同期は次々と退職していきましたが、予め期待を明確にしていたおかげで、仕事がきついとか上司が厳しいとか転勤が多いといった同期にとって退職の理由になる要素は私にとってそこまで気にならず、乗り越えることができました。
ただし状況に流されまいと必死だった当時は、自分の期待を明確にできたものの、継続的な思考や習慣にはできなかったため、残念ながら生きやすくはなりませんでした。
このときの原体験があったことで、44歳の振り返りに着想を得ることができたのだと思います。
生きにくかった時期
せっかく初めての就職で、自分の期待と向き合い続けるチャンスがあったのに、習慣化できなかった私は、その後の人生で様々なことを「なんとなく」やってきました。
その結果、多くの場面で「本当は求めていないのになぜか頑張ってしまっていたこと」が積み重なり、とんでもない数になっていました。
かなり恥ずかしいのですが、具体例をあげないと伝わらないと思うので、いくつかピックアップしてみます。
こだわってきた持ち物
これまでの私は、なんとなくいい物をなんとなくのサイクルで買っていました。
車を例にあげます。
わが家はトヨタのハリアーが好きで、新車を購入し5年後に買い替えるというサイクルを3回、15年繰り返してきました。
来年には4回目のタイミングを迎えますが、車になにを期待しているのか、なぜ5年で買い替えるのかを深く考えたことはありませんでした。
目指すべき自分
精神的な例もあげておきます。
私は、幅広くいろいろな人とうまくやれるというよりも、問題解決に特化した思考や性格をしているため、他者から見ると付き合いにくい部類の人間だと思います。
それに対して、上司のフィードバックや周囲の方の善意で、人とうまく付き合えるようになったほうがいいというアドバイスを頂いたことが山ほどあります。
その度に、自身を否定し、付き合いやすいキャラクターになるように頑張ってきました。
ただしそれは、自分が自分になにを期待しているかを深く考えたことはなく、周囲の期待に自分を合わせてきたというニュアンスのほうが近かったのだと思います。
他にも、期待の境界線があいまいな例は、あげればキリがないほどたくさんあります。
それぞれのケースは異なるものの、あいまいな状態にすると、必要以上に手間やお金をかけたり、気をもんだりすることになってしまい、自分がどれだけ生きにくかったかを実感します。
この一年やり続けたこと
なにかを判断する際に、「自分はそれに何を期待しているのか?」を必ず自問自答した上で決めるようにしました。
先ほど紹介したように、なんとなくの判断は必要以上の消耗や浪費を招くからです。
例えば車について、自分の期待を整理してみると、それは「運転のしやすさ」と「安全性の高さ」でした。
その点で改めて見ると、ハリアーは期待を十分に満たしているのですが、5年で買い替える必要はないという判断にいたりました。
長距離の移動が少ないわが家では、5年目を迎えたタイミングで22,000km程度しか走っておらず車体の劣化がほとんどないこと、また現状の機能ですでに期待を満たしているので、最新の機能にアップデートする必要がないのです。
これに気づいたため、半年後に5年目を迎える今の車は買い替える必要がなく、乗り続けることを決めました。
また、自分自身のキャラクターについても、仕事上の自分への期待を言語化すると、「自分らしい価値を発揮して組織や事業に貢献すること」でした。
これに気づくと、先ほど紹介した私の思考や性格によって問題解決のスピードや精度が上がるのであれば、それは自分らしい価値であり弱点かのように扱う必要はないという判断になりました。
そのため、特にこの一年は周囲から見るとこれまで以上に接しにくいキャラクターになったかもしれませんが、自分らしい価値で貢献できていると思っています。
他にも、一つ一つの判断でこのような思考や判断を挟むことで、なんとなくやってきたことを見直し、自分が期待している本質的なことに力を注げるようなってきました。
私が手に入れたこと(まとめ)
この一年の取組を続けたことで、自分が対象になにを期待しているのかを言語化できるようにしたことで、限られた資源である「お金、時間、気持ち」に余裕が生まれました。
余裕が生まれるということは、その資源を他の対象に注ぐことができるようになるということです。
お金や時間もそうですが、私が特に大きいと感じたのは、気持ちや頭の中に余裕ができたことによる恩恵です。
これまでは、外的な要因で自身の感情が揺れてしまい、複数の感情が頭の中を占拠してしまうような状態が度々ありました。
そんなときは、気分転換の機会をつくって、揺れている感情を鎮めて再スタートできるように整えてきたのですが、自分の期待値を具体的に把握できるようになってからは、感情が揺れること自体の回数が大きく減ったのです。
感情が揺れなければ、心が乱されたり、頭の中がいっぱいで思考が鈍ることがないため、今考えるべきことや感情を働かせるべきことに100%の力を発揮することができます。
これを手に入れたことが、この一年で最も大きな収穫であったと思います。
最後に
30代のころに40代の後半になった自分を想像して、身体的にも精神的にも衰えが始まり、守りの人生になるのではないかと心配していたことを思い出します。
ところが、実際にその歳になってみると、肩こりしやすくなったり、23時には眠くなったりと、身体的な衰えはあるものの、精神的にはむしろ30代よりも豊かになっている気がします。
現状を体力でなんとかすることはできませんが、思考を巡らせ、考え方を変えることでまだまだ自分の人生は豊かになる可能性があることを、この一年で実感することができました。
同年代の方、もしくは同じような境遇の方にこの記事が届き、なにかのヒントになれば嬉しいです。