羽を広げたクワガタを、カゴに入れたのは私だ
玄関で飼育していたクワガタが、動かなくなっていた。
我が家に来て、もうすぐ2年半が経つ頃だった。
オスのクワガタとしては、一般的な寿命を迎えたのだろう。
「クワ」と呼んでいた彼は、来た時と変わらぬ光沢と、傷ひとつない綺麗な体をしていた。
私は、なんとも言えない感情に襲われた。
「これで良かったのかな…。」
虫かごの中のクワを眺めていたら、涙が溢れてきた。
2年半前に、夫が知り合いからクワガタのつがいをもらってきた。
当時3歳だった息子が喜ぶのではないかと思ったらしいのだが、息子は全く興味を示さなかった。
小学生の娘たちも、特段喜ぶ訳でも無く、世話をしたいと名乗り出るものもいなかった。
あまり家族から歓迎ムードではなかったものの、命あるものの世話をするのは、良い経験であるとも思った。
虫かごケースと、ふかふかの昆虫マット、昆虫ゼリー、木の枝を用意して、玄関の棚の上で飼うことになった。
うちに来て初めの頃は、クワガタたちは活発に脱走を試みていた。
蓋の締まりが悪かったのか、一度メスのクワガタが玄関に並べてある靴の方まで出ていたことがある。
発見したのが夜中だったため、こどもたちに見せることなくカゴに戻したけれど、カゴに入れる時に
「ナイスファイト!!」とクワガタに声をかけた。
カゴから自力で飛び出していくなんて、スゴイじゃん!!!
クワガタの勇姿を見て、なんだか私まで誇らしい気持ちになった。
このエピソードを家族に話した時、
「これからは逃げないように、蓋をしっかり閉めようね!」と呼びかけがあった。
(あぁ…。もう逃げられないのか。)
クワガタ達の勇姿を見ることは今後ないのかと思うと、心の奥がズキッとした。
その後、メスのクワガタはすぐに息絶えてしまい、オスのクワガタ1匹になってしまった。
この時から、残されたクワガタに「クワ」と呼びかけるようになった。
蓋がしっかり閉まっているカゴの中で、羽を広げることは一度も無かったけれど、その後1度だけ、クワの羽を見たことがある。
庭で昆虫マットの入れ替えをしている時だった。
こどもたちは、庭の人工芝の上にクワを置いて眺めていた。
「カゴより外のが広いよね~!!」なんて言いながら。
古い昆虫マットを捨て、カゴをさっと洗い、新しい昆虫マットを入れようとした時、
「あぁぁ!!!!」
こどもたちからどよめきが聞こえた。
ふと振り返ると、クワは羽を広げようとしていた。
「ダメ!!!」「とんでっちゃう!!!」
こどもたちは慌てた様子でクワにバケツを被せた。
私は迷っていた。
このまま、羽を広げて飛んでいっちゃうのもありなんじゃないか。
クワが羽を広げたくなったこの気持ちを、大切にしてあげたい。
でも、今逃がしてしまったら、私の責任になるよな。
結局私は、クワをカゴに戻し、いつもの定位置にカゴを置いた。
昆虫ゼリーを入れ替える時、クワと遊ぶことがあった。
クワのはさみに木の棒を入れると、強い力ではさみ、ぶら下がっていた。
「おぉぉ!強いねっ!!!さすがだわ!!」
クワに話しかけながら、新しい昆虫ゼリーを入れ替えていた。
ただ、遊んでいたと認識しているのは私だけで、クワは外敵から身を守るために戦闘モードだったのかもしれない。
楽しさなんて1ミリもなくて、危機感にさらされていたかもしれない。
本当のところは、クワにしか分からない。
毎日、美味しいゼリーが食べられて、清潔で、暑さ寒さにさらされることもなく、雨や雪で濡れることもない。外敵から襲われることもない。
安全で、比較的快適な暮らしだったと思う。
それはそれで、とても幸せだったのかもしれない。
それでも、あの時広げた羽を、あの時広げたくなった気持ちを、尊重してあげていたら、もっと幸せだったのかもしれない。
これまた本当のところは、クワにしか分からない。
私は本来、クワを逃がすことも、逃がさずに飼い続けることも、どちらも選択できたはずだ。
「これで良かったのかな…。」
そう思った時に溢れた涙には、後悔がまざっていたんだ。
それが私の、本音なんだろうな。
人生は選択の連続だ。
「あの時、こうしていれば…」
「あの時、こうしなければ…」
過去の出来事を、たらればで考えても仕方ないかもしれないが、
たらればを考えるからこそ、自分の感情や本心と向き合うことが出来ると私は思う。
どう思ったのか。どう感じたのか。
だからどう行動したのか。どう行動したら良かったのか。
そこと向き合うことで、自分の大切にしたい価値観や優先順位が見えてくる。
人生は選択の連続なんだ。
クワは私に、葛藤と後悔を教えてくれた。羽を広げた時のワクワクを教えてくれた。
「ごめんね。ありがとう。」
私の中で、クワはずっと消えないんだろうなと思った。
空になった虫かごを見ながら、そんなことをふと思った。