
泣いたらいいってとこあるよね〜女の戦い「一言物申す!」〜
男女平等やジェンダー問題が声高に叫ばれる昨今、「男だから」「女だから」という言葉は公には聞かなくなってきた。
もちろん生物学的な違いはあるにしても、差別的に使われなくなってきたというのは喜ばしいことである。
ただし、だからといってすべての人がこれに納得しているわけではなく、特にわたしは昔からことあるごとに「泣く女」に悩まされてきた。
そういう意識されない「弱者アピール」に影で泣いている人がいることも、少し知ってもらえたらと思う。(※泣くこと自体は悪いことではないと思っているので、あしからず)
修学旅行の悪夢
はあ、と溜め息をついた。
小学6年生ももう半ば。山の中をとぼとぼと歩きながら、わたしは改めて前後を見回した。すると、遠くに明かりが見える。きっと後ろのチームに追いつかれてしまいそうなのだろう。
彼らがどれほどの時間でここにたどり着くかわからない。でも一層のこと、ここで待ってみようか。
暗闇のなか、ひとりわたしはもう一度息を吐き出して、少し泣きたい気分になった。
こんな状況になっているのには訳がある。
そもそも「修学旅行」でこんな本格的な「肝試し」をするのがいけないんだ。そう、心の中でふてくされる。
ことのはじまりは、修学旅行の行動班に仲の良い子がひとりもいないことだった。この時点で、のけ者にされるわけではないけれど、馴染めないのだろうなということはなんとなく幼いながらに察していた。
加えて、女子のうちひとりはクラスのアイドル的存在だ。班が決まったころから、彼女の意見がすべてだった。といっても、意見を言うのが苦手なわたしにとって、それはむしろありがたいことでもあったのだけど。
にしても、これはない。そんな風に思いながらも、足はすでに止まっていた。
なにも見えない。昔から暗いところは苦手だった。暗所恐怖症というわけではない。ただ人よりちょっと、暗い場所で視界が狭くなる質だったのだ。
だから夜になってしまうと、数歩先がもう見えない。それが正しい道なのかはおろか、崖かどうかさえわからなかった。
数分前、アイドルたちはわたしを置いて行ってしまった。決していじめを受けていたわけではないし、彼女たちにも"そういう"意図はなかったはずだ。
ただ、彼女が泣きだした。
それが原因だった。
「怖い。もうやだ。なにか出てきたらどうしよう。早く帰りたい」
たぶん、本当に怖かったのだと思う。それはそれで可哀想な話だ。やりたくもない肝試しに、学校の行事というだけで参加させられるなんて。なら一層のこと、林間学校でやった無意味なフォークダンスのほうが、みんな文句を言いながらも楽しそうだったのに。
そうぼんやりと考えていたわたしの視界の端に、動きだす男子たちの影が映り込んだ。
「じゃあ俺が先まで行ってなにかいないか、見てきてやるよ!」
なにか、と言ってもいるのは脅かし役の先生たちだけ。「ずっと待機しているこっちのほうが怖いわ!」とかなんとか言っていたっけ。間違いない。
とにかく、そう言って懐中電灯を持った男子が走りだした。止める間もなかった。そんな暇があれば、わたしは止めていた。
だって彼がいないと、わたしは隣にいる人の顔さえわからないんだから。
走りだした彼のあとを追って、残りの男子ももうずいぶん先へと行ってしまった。「明かりがないの、怖いよー。横からなにかくるかも…」"なにか"じゃない。横から出てくるのは十中八九、先生だ。
さっきなんて、横から飛びだしてきた先生がなにかにつまづいて「うわっ!」と声を上げるのを聞いてしまった。
いよいよ本格的に彼女は泣きだしてしまった。仲の良い女子2人が、彼女の両脇を固め、万全の体制にする。
「大丈夫だよ。男子を追いかけよう」「目、つぶってていいよ! わたしたちが連れてってあげるから」「早くゴールしよう!」
そんな会話とともに、女子たちの声が遠ざかっていく。姿は見えない。でも、足音の速さから、小走り気味に男子を追いかけているのだとわかった。
わたしは山の中でひとり、取り残された。
最初のうちこそ「待ってよー」「ごめん、ごめん。でもなにもいなかったよ」「ほんとに?」「ちゃんと木の陰まで見てきたし」そんな和気藹々とした声が聞こえていた。
けれどそれが数十秒ほどもすると、黒い空間の奥に吸い込まれていく。彼らのせいではない。わたしの歩みが遅くなっているのだ。
「どうしたの?」
突然、声をかけられた。子どもというには低く、でも柔らかい声だった。顔こそ見えないが、たぶん担任だった。
「ほかの子たちが先に行っちゃって…」
なんとなく。なんとなくだけれど、気の毒そうな雰囲気が流れたような気がして、なにも言われていないのに慌てて「でもすぐ追いつくんで!」と歩きだす。
先生はそれ以上なにも言わなかった。自分には自分の(生徒を脅かすという)任務があるからだろう。
しばらくすると、今度は「あれ、もかちゃん?」と聞き慣れた声が背後からかかった。ホッとした。それは、後ろのチームにいるはずの幼馴染みだった。追いつかれたのか。
ひとまず胸をなでおろし、後ろを振り返る。しかしどういうわけか、彼女はひとりだった。おそらく同じチームであろう人たちの懐中電灯の明かりは、はるか後方で頼りなく地面を照らしている。
「…ひとり?」
思わず聞くと、普段あまり話すタイプではない彼女は「まあ、そうだね」と言った。わたしが暗闇で視界が狭くなることを知っているからだ。
「なんでひとり?」
「泣きだした子がいて、全然進まないから」
「そっちも?」
なんだか、おかしくなった。
どのチームにも、ひとりは泣きだす女子がいるらしい。しかもマイペースな彼女はそれを置いてきたらしい。それを聞いて、ここでようやく息ができる思いになった。
彼女に手を貸してもらって、なんとかゴールにたどり着いた。明かりが煌々と宿る旅館の入り口では、チームメイトたちが立ち尽くしている。そして、わたしを見るなり言った。
「ちょっとー、集団行動って言われたじゃん! なんで遅れてんの! もかちゃんが遅いせいで、追い付くまで待ってろって言われたんだけど!」
女子は実に辛辣である。
幼馴染みは途端に気の毒そうな、けれどもどこか面倒臭そうな顔になり、「あー、じゃあわたし、自分のチームと合流するね」と踵を返した。
このときの内向的なわたしに言い返すという術はなく。ましてや責められるとすら思っていなかったわたしは、黙り込んだ。そんなわたしに、彼女ともうひとりの女子は威嚇するように一歩踏み込んだ。
「ねえ! ○○ちゃん、泣いてるんだけど! もかちゃんのせいで中に入れなかったんだけど! 謝りなよー!」
2人の背後に隠れて肩を震わせる"クラスのアイドル"の姿が目に焼きつく。「怖いもなにも、もうここ、旅館の入り口じゃん。そっちが泣きやめよ」と思ってしまったわたしは、自分を心底性格が悪い女だと思った。
泣かない=悪?
あれは小学校の卒業式でのこと。
日本の小学校というのは不思議なもので、卒業式をやるのに練習だの予行だのを何度か繰り返す。
おかげで滞りなく進むのであろうが、それ故、当日はなんともいえない気持ちになったものだ。こう、あまり卒業の実感がないような。
特にわたしの場合、仲の良い友達は全員同じ中学校に進むことになっていたため、悲しくはなかった。
ただ、なかにはそうじゃない人もいる。仲の良い友達と離れ離れになる子がいるのも確かなのだ。そうすると、やはり泣きはじめる子が出てくる。それはいい。むしろ、感情豊かなのは子どもとしていいことだ。
でも、当時のわたしはそれが嫌だった。なぜならそんなときには決まって、泣かないほうが目立つからだ。
ぐすぐす鼻を鳴らして友達同士抱き合いながら、「早く帰りたいなあ…」なんて考えているわたしに言う。
「もかちゃん、なんで泣かないの? 今日で終わりなんだよ? 悲しくないの? 冷たいんだね。そんな子だとは思わなかった」
予想はしていたが、わたしだって傷付かないわけではない。むしろ留学するまでは内向的でネガティブ、他人の一言をうじうじぐじぐじするタイプだったわたしには、かなりキツい一言だった。
女子の同調圧力は、容赦ない。
林間学校でもまた悪夢
中学生になった。
わたしが入学した中学校は、1年生のときにスキー林間なるものがあった。2泊3日で長野県だか新潟県だか、はたまた栃木県だかに行くのだ。昔のことなので、場所はあまり憶えていない。
事件は、その宿泊班決めのときに起こった。なぜだかはわからない。でも、わたしのクラスの宿泊班(女子)は、小部屋が1つと中部屋が1つ、大部屋が1つという部屋により、分かれていた。大部屋にもなると、8人もの女子がごった返すことになる。
正直、最初から自分のクラスが嫌いだった。
中学生になると女子のなかにもヒエラルキー(スクールカースト)ができて、わたしはその最底辺にいると自覚していた。そんななか、幅をきかせているスクールカースト上位の女子に逆らおうものなら、それは一瞬にしていじめに変わる。
だから本来、小部屋で仲の良い女子だけとわいわい楽しくやれるのが一番だったはずなのだ。が。現実はそう甘くない。
中部屋になった。
小部屋になった一番の親友とは離れてしまったが、話したことがある子ばかりだったので、まあいい。悪くない結果だった。
クジで決めたから、恨みっこなし。わたしにとってはそんな認識だった。
けれどこういうとき、必ずといっていいほど出てくる者がいる。
「泣く系女子」だ。
このときもまた、そうだった。しかも泣くのは決まって、スクールカースト上位の女子というのだから手に負えない。
そんな女子が泣きはじめると、「大丈夫?」「どうしたの?」と声をかける人たちが出てくる。
「あそこのグループが良かった…○○ちゃんと一緒が良い」
彼女が見ていたのは、わたしたちのグループだった。その一言で、すべては決まった。
わたしは否応なしに、苦手な人たち(いじめっ子たち)が集まった大部屋に移動することになってしまったのだ。
そこだけは嫌だったので一瞬は躊躇ったものの、「代わってあげなよ。泣くほど嫌なんだから可哀想じゃん!」と言われたわたしの意見は、飲み込まざるを得なかった。
わたしだって泣きたくなるほど嫌だった。
大人になってもまた涙!
大人になれば、そんなことはなくなると思っていた。
でも、現実は違った。
それはとある会社で働いていたときのこと。数名のチームで、大きなプロジェクトに取り組んでいた。会社自体は、まあ、悪くなかったと言えるだろう。
そんなとき、ミスが許されない大事な業務が舞い込んできた。問題は、上司がそれを誰に振るかだ。
当時のわたしは、正直、手いっぱいだった。それは誰が見ても明らかだったと思う。残業もしていたし、だいたいは自己申請型の会社だったので「今、忙しいです!」とアピールをしてもいた。
結果、上司はわたしの後輩(女子)を指名した。
するとどうだろう。後輩が突然、ホロホロと静かに泣きだしたのだ。これにはギョッとした。後輩といっても、社歴ではということで、年齢はわたしより3歳も4歳も上だ。
そんな女子(いや、女性)が泣きだすのだから、驚くに決まっている。年齢ですべてを決めるつもりはないし、それがいかにナンセンスかということも知っているつもりだが、それにしたって、という感想だ。
さらに手に負えないのは、上司が後輩の味方にまわったことである。泣かれて焦ったのだろう。
「どうした?」と優しく聞く。「わたしにはやれる自信がありません…。できればほかの人に…」と、後輩。2人の視線が、示し合わせたようにこちらを向いた。え?
「もかさん、お願いできる? お前ならできるよな」
すかさず「わたしももう手いっぱいです」と言った。海外経験を通して、そこそこの強さは身に付けていた。
会議室にむなしく鼻をすする音が響く。
まるでわたしがなにか悪いことでも言ったかのような、苛立ちと緊張感の入り混じった不快な空気が流れ込んだ。上司は溜め息をつくと、一度後輩を見て、それからわたしに視線を戻した。
「そんなわがまま言わないでさあ。もかさんならできるって。誰かがやらなきゃいけないんだから。それに…○○さん、泣いてるし」
呆然とした思いで、震える華奢な肩を見つめた。
ああ、きっとこの人は今までこうして生きてきたんだろうな。嫌なことは泣けば済むと思っているから、こんな風に会議中に泣きだしたりするんだろうな。自分が嫌なことを他人に押し付けても、罪悪感なんて微塵もないんだ。
いや、うん、子どもならわかる。あのときも、このときも嫌は嫌だったけど、今なら子どもだから仕方ないって割り切れる。でも今は大人も大人。これはあざとすぎる!
そう心の中で愚痴を言ってしまったのには、理由がある。
彼女が仕事中、動画を見たりスマホゲームをしたりして、遊んでいるのを知っていたからだ。そんなことをしていても当然、定時で帰る。なのにわたしより給料が多い(本人談)。
こういうときに、生き方がわかる。
閉口したままのわたし。「わたしのせいで、ごめんなさい…」と謎の謝罪を繰り返す彼女。会議終了予定の時間はとうに過ぎている。
耐えきれなくなったのは、わたしのほうだった。なにしろ「わがまま」とすら言われたのだ。悔しいやら悲しいやら、もうどうにでもなれという感じだった。
「やります」
口に出してすぐ、後悔した。でもまあ、成長するという意味では新しい業務に取り組むのもいいかもしれない。そう無理矢理自分を納得させようとしても、なかなか難しい。
これが最初からわたしに回ってきた仕事なら、また違ったかもしれない。いつだって泣いたほうが強くなる。まるでわたしが泣かせたみたいに。まるで責任を取れとばかりに。
大丈夫。あの人はずっとこのまま。見ている人は見ているんだから、きっといつか呆れられて見捨てられるはず。その間にわたしは成長して、彼女を使える立場になってみせる!
泣けないわたしは、撤収していく同僚や先輩を眺めながら、そんなことを心に誓っていた。(たぶん、そんなことをやっていたから体を壊したのだ)
今でも忘れない。
部屋を出て行くとき、後輩が「もかちゃん、ありがとー! よろしくね!」と笑顔で握手を求めてきたことは。
おい、涙はどこ行った!
泣きたい気分だった。というか、家に帰ってからほんの少しだけ泣いた。
忘れないで、影の存在
つらつらと数々の嫌な記憶を書き連ねたが、単純に愚痴を聞いてほしかったわけではない。
ただ、そうして弱さをうまく見せられる人の影で、悩んでいる人たちがいることを忘れないでほしいのだ。
笑顔に見えても、心の中では泣いているかもしれない。なにか言いたくて、でも場の空気がそれを許してくれなかったのかもしれない。
そういう人がいて、今も影で苦しんでいるかもしれないことを、頭の片隅にでも覚えていてほしいのだ。
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