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じいちゃんが死んだ日に卒業式で送辞読んだ。
こんばんは
冴えない田舎の高校生です。ヘタクソな文章ですが、目をつぶっていただけると嬉しいです。
僕はじいちゃんが死んだ日に卒業式で送辞を読んだ。
僕のじいちゃんは朝4時頃に死んだ。
朝、家を出る前に知らされた。
あの生き物が死んだ時の独特な空気感。
あれが僕はとてつもなく苦手だった。
微妙に、
絶妙にしんみりしてて、
でも空気が重くならないように、
あくまでも軽い感じで。
死を知らされる。
まるでなんでもない感じで、
伝えられるその言葉が。
「じいちゃん、亡くなったって。」
逆に鉛のように重く感じた。
飼っていた犬が死んだ時も、
こんな空気感だった。
「あまり苦しまずに亡くなったみたいだよ。」
この空気感が、
僕はとてつもなく嫌いだ。
僕はじいちゃんが死ぬ前日か前々日くらい、学校を早退してまでじいちゃんのいる病院まで面会に行った。
もう長くは無いから。面会のもっと前にそう親に言われ、1週間後くらいにばあちゃんと僕の親とおじ、おば、いとこ達と行った。
本当は土曜日とか日曜日に行きたかったのだけれど、土日は、ばあちゃんと僕の親以外面会出来ないと病院の人に言われたらしく、月曜日に行った。
月曜日か火曜日、どっちに行くか親に聞かれたが、月曜日に会わなければいけないと思い、月曜日にした。
実はじいちゃんが死ぬ1週間前くらいから、頭の中が「死ね」で頭がいっぱいだった。
野生の勘なのか、第6感なのかなんなのか分からないけれど、犬が死ぬ直前もそんな感じだった。
「死ぬ」じゃなくて「死ね」
自分がこう思ったせいで犬もじいちゃんも死んだんじゃないか、と思ったが僕にそんなすごい力は無いと思うので気のせいだ、と思い込むことにした。
面会前にじいちゃんに最後にあった時は、3年前くらいだった。コロナが流行る前か、流行り始めた頃くらいだった。3年ぶりに面会の時に見たじいちゃんは、ニンゲンじゃないみたいだった。
たくさんの管が繋がれていた。
酸素を入れるために酸素マスクみたいなのもして、その横に魚の水槽に付けるぶくぶくみたいな装置があって、栄養を入れるためにハイカロリーの液を管から通して、とりあえず管だらけだった。
じいちゃんは丸坊主にされていて、ガリガリに痩せ細っていて、口もずっとあんぐり開けていて、ずっと斜め横向きに横たわっていて(床擦れ防止のために定期的に向きが変えられる)、大きく肩を動かして息をしていた。目も基本ずっと大きくあけていて、規則的に少しだけ小さくなったり大きくなったりを繰り返していた。
僕の知っているじいちゃんではなかった。
ニンゲンを感じ取れなかった。
なにかの動物、という感じだった。
あまりにもショッキングで、グロテスクだった。
僕の親がじいちゃんに話しかけていたけど、もちろん返事は無かった。
僕はじいちゃんがとてもでは無いが人間に見えなかったので話しかける事が出来なかった。
2人ずつ交代で面会するという形だったので、そろそろ部屋を出て交代しよう、となった時、僕はこれでじいちゃんと会うのは、会えるのは、最後だな。と思った。
この次の日か次の次の日くらいに亡くなったのでこれが本当に最後になった。
面会の部屋から出ると、おばにショックを受けなかったか、大丈夫か聞かれた。
本当はとてつもなくショックだったが、今1番辛くてショックなのは僕ではなく、ばあちゃんや僕の親、おば、だろうと思うととてもではなかったがショックだとは言えなかった。
病院から帰る時、ばあちゃんは同窓会のお誘いの電話がかかってきて、世間話みたいな感じでじいちゃんの事を話していた。
もうじいちゃんの体は栄養を吸収しなくなったとお医者さんに言われた、そう言っていた。
それでも、ばあちゃんはどうにか命を繋いでくれませんか、そうお医者さんに頼んだそうだ。
ということは、僕が面会で見たじいちゃんは栄養を吸収出来ないけど気休め程度にでも、ほんの少しの可能性にかけてでもハイカロリーの液を管で注入していたのか。
僕は自分でも最低だと思うが、どうにか命を繋いでくれませんか、という言葉が凄く綺麗だなあと思った。
日本語って美しいな。
そう思った。
面会の次の日か次の次の日、じいちゃんが危ないらしい、と親が1時間かけて急いで病院へ向かった。
その日、親は帰ってこなかった。
途中に、何とか持ち直したみたい、そう言っていたけれど、僕は咄嗟に思った。もうダメだな、と。
じいちゃんが死ぬ前に僕はネットでこんな記事を読んだ。
死ぬ前に人は急激に元気になる。
何も食べれなかった人が急に元気になって、あれが食べたい、これが食べたいという。そして、すぐあとポックリ逝く。
もうこれとまるっきり同じじゃないか。
最後の最後に少し元気になっただけじゃないか。
まあ元気になってもきっととても人間らしくはない感じだったのだろうけれど。
結局その日は眠りについて、翌日、朝4時頃、じいちゃんは永眠した。
卒業式で送辞を読まなければいけないので、あんまり落ち込めない。
落ち込んで仕事に支障をきたしてはいけない。
と思った、と言うよりかは、じいちゃんがもうこの世に居ないことへの実感が湧かなすぎてその日は割と普段通りに過ごせた。
むしろ、送辞めちゃくちゃ良かったよ、とこれまでにないくらい色々な人に褒められた。
担任はきっとおじいちゃんが力を貸してくれたんだね、と言ってくれたが、正直、んなわけねえだろ、と思った。
僕は死んだ人間がなにか力を貸してくれたりだとか助けてくれたりだとかする、という類の話はあまり信じない、ある意味冷たい人間であった。
じいちゃんが力を貸してくれたとは思わないが、この送辞は卒業生へ向けたものであると同時に、じいちゃんに向けたものでもあるのでは無いかと思ってしまった。
あの世へいってしまうじいちゃんへ送る、最後のお別れの言葉のように感じた。
2023.4.8(土)
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