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月曜モカ子の私的モチーフvol.238「肉体の贅沢」

先週から肉体続きのタイトルであるが、肉体にメンションしすぎて「肉体の贅沢」というマガジンまで作ってしまった。笑。
まだ何も記事書いてないからこの月モカが第1話になる予感。

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さて。これは先日滋賀県のがんこ堂で配布開始された月イチがんこエッセイですがこのタイトルに据えた「半径1メートルの暮らししか、勝たん」が当面のわたしの生き様目標になりそうな感じ。

ミイ子の件で「#アソビシステム」の絶句するような対応は続いていて。
でもそれにとことん援護射撃すると決めた場合、相手の生き方が酷ければ酷いほど、相手が怖くなくなり、自身は自由になっていく。

気になる方はこちらから↑

デビューしてからどうだろうか、大手出版社からばかり出版してきた自分は、どこかで多少なりとも強い社会的発言や、肩を切った意見などを発信するのを控えたり、してこなかっただろうか。そういうことを考え直して、知らない間に心に植え付けられた「場合によっては本が出せなくなるかもしれない」という気持ちは、どこかわたしの心の解放を、妨げていたのじゃないかと思った。本が出せないということは自分が自分でなくなることであるような気持ち。でももう今は、本は全部「モカティーナ書房」から出せばいいのであって、何だろうな、心のどこかでそれを「都落ち」と思われるかもしれないという不安がかつてはあったのかもしれんけど、そう、この13年のいろんな漠然とした不安があった。でもそれらが形ある【脅威】と【圧力】となり目の前(正確にはミイ子の前に)に立ちはだかった今、目の前の銃声と砲撃のみが敵、形にならない漠然とした不安など、
ねこぞぎ消えてしまった。


敬愛する志磨さんがお誕生日でしたのでこの動画を見直して、ああこれでもまだ去年の3月12日は今より平和だったのだと思ってしまったね。

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そんなわけで、目の前の戦争と世界の戦争の渦中で暮らすわたしは「半径1メートルの暮らししか勝たん」という気持ち、先週の「月モカ」に書いたように、わたしの肉体と魂を讃え、愛で、慈しんであげられるのはわたしだけなのだと考えて、現在最高体重に近づくわたしの肉体を罵るのではなく、愛でる方向へシフトし「肉体の贅沢」なるマガジンまで立ち上げて、ともかくこの足元24センチの領土に立つわたし自身をいつでも褒めて労ってやろうという気になった。

そこには「表現の贅沢」も含まれている。
この13年(大手出版社から本を出させてもらっている)わたしは、
文化人として! 誰かを傷つける発言を吐いてはいまいか、無意識に何かを攻撃していまいか、いつでも放射状に気を配ってSNSでも何かを書いたり呟いたりしてきた気がするけどさ、放射状に人の気持ちを掬うなんてことは今の時代に到底無理だし、きっとこの13年だって出来なかったんだよ!
だったらこの太る痩せるの話や女ってさ、みたいな美醜の話もさ、
もはや好き勝手やってよくない!?笑
まあそんな境地。

で、ここからが「肉体の贅沢 vol.1」にふさわしい内容になっていくのだが、
めでたくジムに加入して、ジムと焼肉の往復の日々を送っている。
ジムと焼肉の往復!これぞ肉体の贅沢!!!

昨日のレディオはほぼ音声のみの【ON AIR】の週でして。
冒頭にちょっとジムのこと喋ってます。後半の「女主人のコレが言いたい!」はSATC 新章の話。

これはある意味実験でもありまして。
というのは自身の肉体を「褒めて褒めて褒めまくり」肉体の望む悦びを「与えて与えて与えまくった」場合、自分の肉体は一体どこまで美しくなってくれるのだろうかという、氷に「死ね死ね死ね」と叫ぶのと「大好き大好き大好き」と叫ぶのを比べて結晶の出来を調べる実験に似ている。

「ひもじい」と感じることを一切排除することを所信とするので、
お腹が空いた、となると美味しいものを食べることにする。

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今回入会したジムは無敵のジムで、わたしの絶対条件の”プール”がかなり大きなサイズであるどころか、4メートルまでの高さならクライミングも自由にできるし、なんとクラスがない時はスタジオをフリー利用できる。

昨日はちょうどいい時間にスタジオがフリーだったのでプールの前に行ってみることにした。なんて広いの!そしてなぜかフリーの利用者がとても少なかった。わたしにとって放置されることは最大の贅沢である。
アデルのアルバム「30」から最も好きな曲を流しエンドレスでかけながら、気がすむまでストレッチしたりヨガをしたり、気が向くままに踊ったりした。最高の贅沢!そして思った。守山の病院の隔離されたわたしの部屋は、踊るのに十分の広さと「ここで生まれた」というカタルシスがあって、最高の贅沢であったけど、あの時のわたしには踊る体力がなかった、と。
同じ曲を聴きながら今は大きく踊れる(というかおかしな動きをしている)悦び。気がついたらスタジオだけで1時間以上も時間を使っていたけど、これも贅沢。あと何分泳がないと痩せない、あと何分動いてないと脂肪は燃えません、とか考えながら運動する時の1分1秒の死にたいくらいの長さったら。

アデルの曲が良すぎてもっと詳しく歌詞の意味とか知りたくなったから、フロアを1つ移動してランニングマシンへ。ランニングマシンに乗るのは、渋谷のTipinessに通っていたとき以来だから18年以上になる。
芝居の赤字をダイエットの賭け金で「1ヶ月に5キロ」痩せて賭けに勝ち一部返済した。その時毎日、アブリルの「Let it go」というアルバムを聴きながらジムで走っていた。あの時アブリルは17歳だった。

久しぶりのジム、全体的にスティーブ・ジョブス大先生に感謝。
Air Podのおかげで全力で音楽聴きながら踊れるし、
昔わたしはランニングマシンに英語の歌詞を置いて曲を聴いて歌詞を覚えたり意味を理解していたけど、今はもう画面に現れてくれるんだもの!

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わたしはわたしを乗り越えることを学びたい
他の誰かになろうとすることをやめて

あまりにも今自分が考えていることとアデルが言っていることがリンクするので15分ほどランニングマシンの上にいて繰り返し歌詞を聴いた。

ジムの中では大声で歌えないから帰ったらピアノで弾きながら大声でこの歌を歌いたい。ジムで音楽を聴くということはわたしがもう一つ大切にしたい「魂の謳歌」も満たしてくれる。

このジムにいる間にレディオ相方のめんちゃんから「SATC新章の第1話を観たけど心の処理が追いつかなくてとにかく泣いてる」というLineと、
大叔母逝去の知らせが入ってきた。
大好きで思い出がある大叔母だったけど今こんな状況だから滋賀や京都の告別式には参列できない。

アデルを聴きながら涙して、涙はマスクの内側に吸い込まれ、周りは誰もわたしが泣いていることに気がつかなかった。誰かが亡くなっても、こうしてジムで泣いたら風呂に入って水着を脱いで、涙と汗を流してまた日常に戻る。きっとそれが人生というものなのだろう。

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更衣室には「真実の扉」なる試着室のようなスペースがあり、なんだろうと思えばなるほど真実の扉、中には大きな三面鏡のものや体重計などが置いてあり、自分の真実を向き合える間であった。

まだこのジムには数回しか来てないけど、前回と同じようにその小部屋に入って自身と向き合う。わたしの後ろ姿、うん、クソデブ。
「でも、かわいいとも言える」
生誕後最高体重になりつつある自分の後ろ姿など、クサそうと思えばいくらでもできるけど、そうしないことが所信。

うんうん、続けていこう、この肉体と魂の贅沢を。

帰り道、小さな頃時々母と行った大叔母の京都の団地を、去る時の、寂しい気持ちと母のスプリンターの中から見える、小さくなってくコンクリートの建物を思い出した。

<モチーフvol.238「肉体の贅沢」2022.3.07>

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レディオのMVは2週間連続で「踊り子」でした。映像はリンクしていますが全く雰囲気が違う感じに仕上がっています。比べてお楽しみください。

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☆モチーフとは動機、理由、主題という意味のフランス語の単語です。
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長く絶版になっていたわたしのデビュー作「蝶番」と2012年の渾身作「誰かJuneを知らないか」がこの度、幻冬舎から電子出版されました!わたしの文章面白いなと思ってくれた方はぜひそちらを読んでいただけたら嬉しいの極みでございます!