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第5話 ✴︎ お金について考える ✴︎ By モカ考察

ちょうどnoteに「お金について考える」というコンテスト項目があるので、
まさしくここひと月ずっと「お金について考えている」わたしは、ちょうどいいじゃないということで書いてみる。

結論から言うとお金というのは「どれだけ稼いだ」の片方でも「これだけ節約してるのよ」という片方でも語れず、全ては「収支」に尽きるのである。
(世の中の敏腕経営者の皆様、今さらなに言ってんだってことを言っててすみません...笑)

しかし意外と世の中の大半の人は「たくさん稼ぎたい」とか「お金を貯めたい」とか「なるべく使いたくない」とか、どちらかにバイアスが強くかかっていて、
収支のバランスよりかは「収」または「支」のどちらかに着目しがちだなと思う。

じゃあ自分がどうだったかと言うと、プライベートでは「収」の方向でしか考えていない時期が長かった。簡単に言うと全て丼勘定で、使いたい放題お金を使っていた。でもその分「稼げばいい」と思っていた。
(この場合わたしが主宰する演劇や催しを公とするのですが、演劇とかは基本どれだけ頑張っても客席✖️チケット代✖️公演回数が収入のmaxなので、自ずとそこから逆算して予算を組むしかないので、物販くらいしか「収」を増やすことに着目はできない。当たればデカイ、みたいな夢を見ることはできない)

わたしが元来お金をジャブジャブ使うタイプであった理由や、意外とすぐ人に奢ったり、簡単に言うとケチではない理由を人は「家が裕福だから」と言う風に勝手に解釈していたけれど実はそこではなくって、若い頃からわたしは「働く」のが好きだったのである。働くということを嫌だと思ったこともなかったから作家になる前など鮨屋とスナックと渋谷のClubを組み合わせて週7で働いていたこともあった。

だから25歳の頃もディスコの黒服とかをしていて毎晩店で寝てるような生活をしていたけど、やっぱりその分、女だけど役職者だったので手当はもらっていたし、作家になって連載をたくさん抱えている時も、六本木のスナックを辞めずに朝まで働いていたのでそれなりのインカムがあった。
使いたい放題お金を使ってなくなってもとにかく「働く」か「書くか」すればいいと思っていた。ここで「貯金」という話が出ますが、わたしは不整脈を持っていて、2012年にカテーテルのアブレーション手術をしたのだけど、それが根治するまでは多分40歳〜50歳くらいで死ぬかなと思っていたので、老後のためにお金を貯めると言う発想もなかったのである。いわゆる全てが「刹那」で仕上がっている人生だった。その刹那を物語に変え原稿料をもらい、日々を生き延びていた。

しかし銀座で働き出したあたりから、死ぬほどお金がなくなった。
銀座で働き出してお金がなくなると言うのも妙な話なのだが、
銀座は0じまたは1じまでだから、スナックの時より時給はよかったけど、日給にしたら場合によっては半分くらいになるのであった。しかも1度出勤したらその日はお酒を飲むから終わってから執筆はできない。スナック時代は働く日と執筆の日を分けることができたけれど、銀座は働ける時間が短いからそうはできない。
なのに納めた原稿の急な直しなどに対応していると定時には入れないことも多かった。そんな中、連載が突然中止になったり、出版されるラノベ本の部数が突然会議で前年度の半分になったりして作家収入が激減、スナックで働きながら恵比寿に住んでいた頃の月収と比べるとわたしの月収は「ー15万」とかになってしまった。

あなたこれ一大事でしょ、ってことでようやくわたしは「収支」の「支」の方、つまり極限までの「節約」に注力し始めるのである。

35歳を過ぎて収入が激減したのはわたしの「誇り」的には辛かったけれど、
でもここ3年間の極限節約生活というのがわたしの人生における大きな糧となった。どこに行くにも右手を上げていたわたしが、大概の場合になら歩くようになり、バスを駆使し、シャンパン大使かというほど、いつでもどこの店でも誰かの誕生日ならシャンパンを入れていたわたしが、笑、基本的には外には飲みに行かなくなった。[そんな中近所の北町STOCKには行っていたので今に至る]

20代の頭にだいたい皆が経験する「ひどくお金がない」という体験ーー新卒でお金が足りないけどかといってバイトもできないーーを、フリーランスゆえ、死ぬほど働く&ナオミとの3年間に及ぶルームシェアによって、深刻に体験せずに済んだわたしは、35歳を超えて初めてそういう体験をしたのである。

人が聞いたらエッ、と思うかもしれないが、クレジットカードのキャッシュローンとかもわたしの考えは高い利息を払ってるんだから「稼がせてやってる」みたいな視点、笑、全く悪びれず、いつも満額まで使い込んでいて、とうとうカード会社が「いつか踏み倒されるのでは」と思ったのだろう、契約更新月に「あなたは来月からキャッシングとローンはできません」という通達がきた。笑。
(もちろん不渡りを出したことはないよ!)

いい年をして、しかも作家しながら銀座で働いてさそがしお金があるんでしょうと人に思われながらの極貧生活、カードローンも使えないし、
銀座のママはわたしに給料を支払いながらも、30代後半の女がこれで神楽坂に住み、ひと月回しているとは思っていなかったのだろう、勝手にわたしの月給を「こずかい」だと思っていて、生活は全て親が払って、親が払うマンションに住んでいると思っているらしかった。それでそういう「金持ちの娘の堕落した生活」について度々説教を受けたりしていて、正直わたしにはそれはいわれのない説教でとても辛かったのだけどーー元を正せば2016年、ギリシャに行きたいんですがお金がないので店に前借りさせてくださいとかPOPに言ったわたしが悪いのだけどーー今、お店をやってみて、本当にそういう修行のような経験をここ数年したことは、とても良かったと思えている。

なぜなら、割と稼いでいて飲み屋でお金を使うのも楽しかったりするイケイケの時の気持ちも、金銭的に状況がとても厳しいんだけど、でも少しお酒が飲みたい時の気持ちも、今のわたしにはわかるから。そういう状態で、いま「根津イーディ」でお客様をお迎えできていることや、大赤字の状態でお店を任されていてもだからってアコギにお客さまから搾取しようなど思わず、純粋にこの状況を楽しみながら「収支」について冷静に思考できる今の状況に、感謝している。

[⤴︎2013年。割と稼いでいたとき。笑]

そういう日々を過ごしてしばらくした頃、銀座によくいらっしゃる経済と金融の世界ではかなり有名な重鎮の翁の方が
「よくね、人は ”どうやったらお金持ちになれますか” って聞いて、お金持ちになれるには収入を増やすしかないっていうんだけど、お金っていうものは全て"in"と"out"で成り立っているんだよ、だからねそれがうまい人はそんなに月収が高くない人でもちゃんとお金を持っている」

こう言った言葉がとても印象的だった。
簡単に言えばさ、わたしがお店の利益を上げるためにしつこいくらいに「もう一杯いかがですか!!」ってすごい形相でお客様に詰め寄ったりしなくても、笑、
あまり数字が上がらない日は朝までお店で仮眠して電車で帰れば、少なくとも2杯〜3杯分の経費は節約できるのだ。

ちょっと今はこの日本社会における究極の生活困難者の課題は置いて話しているのですが、それでもこの「根津イーディ」自体、最初からお会いするお客様にはお話しているように究極の状況でわたしにバトンタッチしているのだから、
わたしの運営に関する考察もそれとは無関係じゃない。

きっと苦しい状況でも「収支」に対して、粋な角度から捉えることができたら、
貧しいお店でもお客様に豊かな時間を提供できる。

なぜこう考えるかと言うと3週間やってだいたい数字がわかってきたのだが、
根津イーディで「大きく儲ける」などと言うことはどだい無理なのである。
わたし一人が細々と生活するくらい。これならいけるかもしれん。
でも誰かを雇うとか、新たな展開を考えるのであれば多分、お客さんの単価を上げるとかそんなことよりも、この連載が本になるように努力するか、笑、なんか「これだ」と思う短編でも書いてどっかに送った方が数字的な可能性としてはきっといい。笑。本を出せモカコ、根津イーディの繁栄のために。笑。そういう感じ。
なのでもう、お店として出来ることはわたし自身が楽しみながら、来てくださるお客様に”豊かな時間” ”何かしらの付加価値” を提供することしかないのである。

わたしはその数字的「粋な角度」についてこのひと月、文豪の石に寝転びながら、沈思黙考し続けているのである。

(⤴︎霊能者の友人に確認したところ、石に寝転ぶのは、神様に対して「生け贄です」という意思表示になってしまうから大変危険らしい。笑)


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中島 桃果子 / Mocako  Nakajima
長く絶版になっていたわたしのデビュー作「蝶番」と2012年の渾身作「誰かJuneを知らないか」がこの度、幻冬舎から電子出版されました!わたしの文章面白いなと思ってくれた方はぜひそちらを読んでいただけたら嬉しいの極みでございます!

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