アラサーでアコギを始めて1年半が経った話
昨年の4月から、ほぼ独学でアコースティックギターを始めた。
先に断っておくと、私はこれまで楽器の類を習ったこともなければ、音楽が得意なわけでもない。音楽を聴くのは好きだし、推しのアーティストもいるけれど、自分が歌うとなると音程はうまく取れなければ声も出ない。小学校の頃は音楽の時間が苦痛で仕方なく、高校の選択芸術では迷わず美術を選んだ。
そんな人間が、そもそもどうしてギターを始めたのか。
事の発端は、私が異業種に転職したことに遡る。
詳細は伏せるが、職務で楽器を弾く機会があったのである。一体なんの仕事だと訝しむ人も居ろうが、それは本項の趣旨とは外れるので割愛する。
全くもって必須スキルというわけではなかったのだが、私が配属された事業所では、どういうわけか私以外の全員がギターの心得があったのだ。
いや、1人だけできないって、それはそれで絶妙に居心地悪いぞ。
かくして私は、一生縁がないと思っていた音楽の世界に踏み込むことになったのである。
幸い、伯父のお下がりのギターが実家の押し入れで埃をかぶっていた。古のギターを楽器店に持ち込み、弦を張り替えてもらい、カポタストとピックを買った。
そもそも、楽器店に足を踏み入れることすら初めてである。ショッピングモールのテナント店舗に入るだけでさえ、これから取って喰われるのかというくらい緊張していた。
おまけに私が握っているのは、数十年前のおんぼろギター。右も左もわからない人間がこんなものを持って入ったら、鼻で笑われるのがオチじゃないのか。
ええい、虎穴に入らずんば虎子を得ず。
とはいえ軽やかな足取りで入れるはずもなく、元吹奏楽部の弟についてきてもらった。楽器店慣れしている人間をお守り代わりに連れて行こうという魂胆である。快くついてきてくれた上、運転まで買って出てくれた弟には感謝しかない。
私の心配は杞憂に終わり、店員さんは終始優しかったし、初心者だと伝えると快く歓迎してくれた。
お金を出した以上はやるしかない。道具を揃え後に退けなくなり、独学での練習が始まった。
時には職場の有識者たちにアドバイスを貰ったこともあったため、厳密に言えば100%独学とは言えないかもしれない。
そうは言っても練習の大半を1人で行っていたし、教室に通ったり、プロの指導を受けたりしていない、というニュアンスで「独学」と言わせてもらう。
ギターを始めた人の9割が、3ヶ月から1年以内に挫折するという。割合はともかく、期間については正直、納得の数字である。
振り返っても、始めた直後が一番苦しかったように思う。コードの形を覚え、スムーズに指が動くようになるまでの道のりが途方もなく長く、そして果てしないように思えるのだ。
第一の目標として、C→G→Cのコードチェンジを据えた。これが高い壁だった。
まず、コードの形を覚えるまでに時間がかかる。「Cってどんなだっけ?Gってこれで合ってるっけ?」の段階である。
覚えたところで、「えーと、人差し指は2弦1フレット、中指は4弦2フレット、薬指は5限3フレット…」と、指一本ずつ順番に、弦を見ながら押さえていかないと手の形が作れない。
果たして本当にワンタッチで押さえられるようになるのかと疑心暗鬼になる。
おまけに、音が出たところで果たしてそれが合っているのかがわからない。
「管楽器は鳴らすまでが難しいが、弦楽器は誰が弾いても同じ音が出る」
と一般的に言われるが、それが完全に裏目に出ているのだ。なまじ音が出るからこそ、合っているかどうかがどうも分からない。音感ゼロの私は尚更だ。
しかも、この段階ではまだ「音楽」というよりただの「音」である。
なんとなくでも好きな曲、知っている曲の形になれば多少は気分も上がろうものだが、そうではないからなかなかモチベーションが上がらない。
この頃は自分が弾けるようになっている姿が全く想像できなかった。
それでも「数分でもいいからとりあえず毎日ギターに触る」という意地だけで、1日1回は「ジャーン」と鳴らしていた。
「継続は力なり」とはよく言ったもので、毎日そうやって触っていると、ぎこちないもののいつの間にか指が動くようになっていたし、弦をまじまじと見なくてもコードチェンジができるようになっていた。私はあまりこの言葉が好きではないのだが、今回ばかりはその通りだと感服せざるを得ない。
そして、不思議なもので一つコードを覚えたあとは、新しいコードを習得するのに初めほどの時間を要さなくなっていた。
このあたりから、一曲形にしようと練習を始めた。記念すべき一曲目に選んだのは、THE BLUE HEARTSの「TRAIN-TRAIN」である。登場するコードの数が少ない上、CコードとGコードだけでサビが弾ける点が決め手だった。
ここで新たに立ち塞がるのが右手のストロークである。
基本的に同じ動きを続けていればいいのだが、たったそれだけのことがなかなか難しい。左手を動かそうとすると右手が止まってしまうのだ。とにかくゆっくりから始めて徐々に実際の曲のテンポに近づけていく。スマホアプリのメトロノームが非常に役立った。
右手を止めずにコードチェンジができるようになると、次のステップはいよいよ弾き語りである。
ようやくギターらしくなってきたと思ったのも束の間、口と手を同時に動かそうとした途端に右手が覚束なくなる。3歩進んで2歩下がった気分だ。
ギターにハーモニカをくっつけて同時に演奏しているおじさんには恐れ入る。ただの陽気な剽軽おじさんだと思っていてごめんなさい。
ああでもないこうでもないともがいてはいたが、3ヶ月が経過した頃にはなんとなく曲の形を成しつつあった。
要した時間は平均すると平日に30〜45分程度、休日に1.5〜2時間程度といった程度か。興が乗ると数時間費やすこともあったものの、練習時間に関しては日によってムラが生じていたのが正直なところである。
ただ、たった5分でも、毎日ギターに触れ続けた点は我ながらよくやったと褒めてあげたい。
自腹を切って道具を整えたのだ、眠らせてはもったいない、という生来の貧乏性もあったかもしれないが。
きっと、私にとっては時間よりも毎日触り続けることがカギだったのだろう。もし「週4回1時間練習する」とか、「休日は2時間練習する」とか、そんな目標を立てていたら早々に挫折していたかもしれない。
ここまで来ると、ギターを弾くことが楽しくなった。好きな曲を自分の手で奏でられる。練習を重ねるうちに少しずつ曲が形になっていく。新しい曲に挑戦できる。楽しさを見出した分だけ、ギターに費やす時間も増えた。
そうして、気づけばギターを手にして1年半が経過していた。
今も決して「弾けます!」と自信を持って言えるわけではない。うまく鳴らせないコードもあれば、アルペジオやソロギターをスラスラと弾きこなせるわけでもない。Bコードにずっと苦戦し続けているのはここだけの話である。
それでも、今やギターは余暇の楽しみの一つに加わっている。そして、きっとこれからもささやかに弾き続けるだろう。
人前で演奏できるレベルではないけれど、そろそろ趣味と言っても怒られないのではないだろうか。
音楽とは無縁のまま30年近くを生きてきた私が、まさか休日にギター片手にカラオケボックスに行く日が来るとは。
新しいことを始めるのに遅すぎることはない、なんて使い古された綺麗事でまとめる気はさらさら無い。
自分の新たな挑戦を振り返ろうと書いた本稿であるが、この拙い文章が誰かに届き、そして背中を押せればこれほど嬉しいことはない。