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書を捨てず、旅に出よう

書を捨てよ、街へ出よう

アンドレ・ジッド「地の糧」の一節であり、寺山修司の代表作のタイトルでもある。
だが、あえて「書を捨てず」旅に出るのもなかなか乙なものである。

旅先が舞台の文学作品や、出身作家の本をお供に旅をする。私のお気に入りの旅のスタイルだ。
いわゆる「コンテンツツーリズム」や「聖地巡礼」に類する形である。

ゆかりの地を旅した作品の一部。左から青森県、愛媛県、岩手県、石川県。

街を歩いて登場人物の足跡を辿ったり、この町並みからこの作品が生まれたんだと作家のバックグラウンドに思いを馳せたり。地図でもガイドブックでもスマートフォンでもなく、小説が旅の道しるべとなってくれる。

道後温泉の深い湯壺に沈みながら、「坊っちゃん」の主人公の気分に浸った。
北上川のほとりを歩きながら、「銀河鉄道の夜」でカムパネルラが落ちた川のモデルはここだろうかと考えた。
冬の関越トンネルを抜けて、眼前に一面の銀世界が広がったときには、「国境の長いトンネルを抜けるとそこは雪国であった」と、川端康成になりきって呟いた。

100年前に書かれた小説であっても、その土地を歩くことで当時の息づかいを感じることができる。作中に描かれた風土や文化、作家の生きた時代背景、旅をすることは、時空を超えてそれらを追体験することなのだ。

最近では、漫画やアニメの舞台となった場所を訪れる旅のスタイルも一般的になってきた。
しかし、文学に比べるとまだまだ歴史の浅いコンテンツである。この「時をかける」感覚はもうしばらくの間、本ならではのものだろう。

「坊っちゃん」の舞台松山の道後温泉。温泉に浸かった後、宿でのんびり読む坊っちゃんはまた違った趣があった。

物語を観光資源にしている場所も多い。
青森のお土産屋さんでは「斜陽」という名前の日本酒が売っていたし、京都の丸善にはレモン置き場があった。生家が記念館になっている文豪も少なくない。
こうした旅先での出会いが、新しい本と巡り会ったり、あまり手に取らなかった作家の作品を読んだりするきっかけをくれる。

太宰治の小説「斜陽」の名を冠した日本酒。旅から戻った後も、物語の世界に浸ることができる。

かつての日本人も、歌枕を巡る旅をしていた。和歌という幻想の世界と、現実の世界とが旅によってつながった。
コンテンツツーリズムという言葉が生まれるよりもずっと昔から、旅はフィクションとリアルをつなぐ役割を果たしていたのだ。

京都の六道珍皇寺には、小野篁があの世とこの世を行き来したという「冥土通いの井戸」がある。私にとって旅とはこの井戸のようなもので、異世界と現実との往来を可能にしてくれるものなのだ。

物語は見知らぬ土地をぐっと身近にしてくれる。旅人にとって物語とは、初めて訪れる土地の解像度を劇的に上げてくれる眼鏡である。

王道の観光コースを巡ったり、SNS映えする絶景を訪れたりするのも楽しいが、一冊の本をテーマに、仮想と現実の間を歩いてみてはいかがだろうか。

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