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一杯のかけそば

昭和の時代
一杯のかけそばが話題になり
日本中が涙した

1972年の大晦日の晩、札幌の時計台横丁(架空の地名)にある「北海亭」という蕎麦屋に子供を2人連れた貧相な女性が現れる。閉店間際だと店主が母子に告げるが、どうしても蕎麦が食べたいと母親が言い、店主は仕方なく母子を店内に入れる。店内に入ると母親が「かけそばを1杯頂きたい」と言ったが、主人は母子を思い、内緒で1.5人前の蕎麦を茹でた。そして母子は出されたかけそばをおいしそうに分け合って食べた。この母子は事故で父親を亡くし、大晦日の日に父親の好きだった「北海亭」のかけそばを食べに来ることが年に一回だけの贅沢だったのだ。翌年の大晦日も1杯、翌々年の大晦日は2杯、母子はかけそばを頼みにきた。「北海亭」の主人夫婦はいつしか、毎年大晦日にかけそばを注文する母子が来るのが楽しみになった。しかし、ある年から母子は来なくなってしまった。それでも主人夫婦は母子を待ち続け、そして十数年後のある日、母とすっかり大きくなった息子2人が再び「北海亭」に現れる。子供たちは就職してすっかり立派な大人となり、母子3人でかけそばを3杯頼んだ。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』あらすじより引用

私は大きな不自由のない
普通の家庭で育ったためか
このストーリーの急所が
貧困・絶望・幸福の意味が
そして、一杯を分け合うという覚悟が
わかっていなかった

平成から令和へ
紆余曲折の真っ只中の
そんな生き方を
望む望まないに関わらず
体験することで
知ることがたくさんある

どんな境遇の中でも
幸せがあるということを

毎日が小さな小さな
幸せで支えられている

得て失うもの
失って得るもの

もっともっと
今を真剣にいきたい

私の投稿に共感していただき、サポートしていただけるのであれば素直に嬉しいです。また、感謝という言葉しか思いつきません。これからも連続投稿で皆様にお届けできるものがあったら幸甚です。