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自己紹介 | 残業100時間超えの会社で鬱になったけど旅で救われた話 | みんな自分を大事にしてほしい。





序章:大都市への憧憬と、憧れだけでは乗り越えられなかった社畜生活


私が生まれ育った宮崎では、テレビのチャンネルが2つしかなかった。その限られた局のテレビ番組で観た、東京で生き生きと仕事をする女性は誰よりも輝いて見えた。それが虚像だとしても。

ずっと憧れていた。大都市東京で自分の足で立って颯爽と歩いて仕事もきっちり結果を出すかっこいい女性に。自分の足で立って稼いで、キャリアを積んで誰からも支配されない強い女性に。
そういう人間になりたかった。でも、できなかった。

春の夜の東京タワー🗼

大学在学中に東京の会社に内定をもらったが、卒業する直前に父が脳卒中で倒れた。麻痺が残り介護が必要となった父を田舎に残すこと、愛する父が仕事ができない状態になってしまったことで私は頭を殴られたようにショックだった。笑えなくなった。

その状態で東京に来て新卒で入社して仕事を始めた。
女性が極端に少なく男性社会の会社で、残業をすればするほど評価が上がる謎システムもあり仕事は過酷だった。

同じユニットの後輩が精神的な不調で休職することになった時は急遽休日出勤して納期に間に合わせたり、一人で膨大な量の資料を読み込みレポートを書く仕事が朝まで続いたこともあった。

その後も上司が新しい事業を作りたい(!?)と言い出し企画書の叩き台を作らされたり(私の数字には一切ならない)、そんなこんなで残業が100時間超えることが続き、身体的疲労と不眠で心が壊れてしまった。
ある日やっとの思いで出社すると、休職を経て辞めていった後輩のことを根性がないと嘲る社員の声が聞こえた。悲しみと怒りと自分も辞めたらそう言われるだろう恐怖で必死に働いた。

ある朝、丸の内線の霞ヶ関駅のトイレで動けなくなった。冷や汗とめまいでうずくまって、もう一歩も動けなかった。

私は1ヶ月の休職の上、会社を辞めた。
心療内科では鬱と診断された。

その後数ヶ月は生ける屍のようだった。不眠症のため眠ることも難しいので、ひたすら自分の人生における失敗や苦痛を反芻して悶えていた。

周りの友人はキャリアアップしていく中、地下でうずくまっている芋虫のような自分の状況に耐えられずになんとかしたいと思って焦っていたら詐欺に遭った。心の底から死にたかった。

療養としての旅、聖地巡礼

不幸は度重なるものだとはいえ、必死に仕事して貯めた大金を奪われて、希死念慮と共にある日々が過ぎていった。誰にも相談できず、親にも言えなかった。なぜ次の仕事を決めてから辞めないのかと訝しがる友人にも、自分が病気だと打ち明けられなかった。

ある日部屋でぼーっと天井を眺めながら思った。
どうせ死ぬにしてもこの記憶のままで人生を終えるのは悔しすぎる。

お金をかき集めて人生最後の楽しみとして旅に出た。幸い時間だけは潤沢にあった。

仕事で辛い時に支えになったJOJO5部の聖地としてイタリアに巡礼したり、オーストラリア南東部のゴールドコーストに行って海辺でぼーっとした。
真冬に韓国・ソウルの友達の家に2週間泊めてもらって一緒に激辛鍋をつついたこともあった。

旅先で歩いていると余計なことを考えなくて済んだし、何より死にたくならなかった。特にイタリアはスリに遭わないよう気を張って歩く必要があったので希死念慮どころではなかった。アドレナリン噴出のスリ撃退事件も発生した。(旅行記はまた別途)。

5時に起きて辿り着いた朝日とヴェスビオ山⛰️太陽がナポリという街を祝福しているように感じる
太陽が降り注ぐ道をひたすら歩き続けた
オーストラリアのビーチでひんやりした柔らかい砂に触れた時、人生で初めて心の底から平穏な気持ちになった

旅に出ると、一日中歩くことができる。目的地があるからだ。
1日の終わりには、眠るために必要な、歩き疲れた体を手に入れることができるという利点もある。旅の間はぐっすり眠れた。

ナポリの素敵な方々をお手本に
太陽のもとで日光浴をする習慣も身についた


日本で家にいるときは「どうしてこうなってしまったんだろう」「なぜ自分はこんな生産性皆無の生活しかできないのだろう」と希死念慮が襲ってきたが、旅に出たおかげでなんとか死なずに生き延びることができた。

ここから先に進むためにも、自分の経験を語ることが必要だと感じた。

キャリアの死と再生

鬱がひどかった時に私が描いた絵
Francis BaconのThree Studies for Figures at the Base of a Crucifixionを参考に部屋にいる自分を描いた

新卒で入社した会社を3年で退職し、その後2年半仕事をしていない自分のキャリアはもう死んでいるのかもしれない。というか、誰がどうみても死んでいる。順調にキャリアアップを実現しているかつての友人たちからしたら、狂人/哀れな転落者としか映っていないだろう。
空白期間によりキャリアアップの道筋を外れた今、自分の人生はどうなるのか見当もつかない。
しかし、暗闇の中でも歩き続ける他に道はない。
キャリアの再生、あるいは再生しなくとも、歩んだ先に何があるか記していいくつもりだ。

結び:限界まで自分の有用性を証明し続ける生き方から転換する

私を救ってくれた太陽🌞

思えば物心ついてからずっと、私は有能な人間だと証明し続けなければ居場所がなかった。
家庭でもそうで、母親には「お父さんは東大卒なんだからあなたたちも当然偏差値の高い大学に行ける(というか行きなさい)」というメッセージが一番強い家庭だったし、いくら努力してもラットレースのように満たされない状態が続いていた。
就職してからもずっと、自分の有用性や市場価値を上げてより良い待遇の仕事を得ること、それこそが人生の目的だという位置付けのもとで走り続けていた。私の場合はその結果盛大に転けたわけである。

労働をしない生き方を肯定するわけではない。
でも、血の滲むような努力をして自分を擦り減らし続ける生き方が持続可能な生き方だとも思わない。

30歳手前で遅すぎるかもしれないが、呪いを解くのに時間がかかったことは受け入れる。
前を向いて、持続可能な生き方をこれから模索していけたらと思う。


ここまで読んでくれた方へ。
note初めて書いたら伝えたいことが多くて長くなってしまいました。
読んでくれて本当にありがとうございます。

現在無職(キャリアブレイクって言い方もあるのかな今だと)の方、地方から東京に出てきてしんどい方、全然ちゃうけどコメント残してくれるよって方がいらっしゃったらぜひコメントください🫶
しんどい時にどんなセルフケアしてるかとか、おすすめの本も気になります📕
では皆様、また次の記事でお会いしましょう。

愛を込めて❤️‍🩹

#自己紹介


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