特別公開される芭蕉の有名な手紙の概要―第77回芭蕉祭特別展「手紙のひと 芭蕉」
2023年9月15日から12月24日まで、伊賀市の芭蕉翁記念館で
第77回芭蕉祭特別展「手紙のひと 芭蕉」が開催されています。
会場には特別公開資料があるのですが、そのうちの1つが、
「元禄5年2月18日付芭蕉筆曲水宛書簡」です。
(展示期間は9月15日~10月12日です。ご注意ください!)
元禄5年(1692)2月18日、江戸にいる芭蕉が弟子の曲水(きょくすい)に宛てて書いた手紙です。曲水は本名・菅沼定常、近江・膳所藩(現・滋賀県)の重臣だったと言われています。この手紙の3年ほど前から芭蕉と親しくなったらしく、現存する芭蕉の手紙では彼に宛てたものが最多だとか。芭蕉が元禄3年(1690)に滞在した草庵・幻住庵(現・滋賀県大津市)を用意したのも曲水であり、芭蕉は彼をかなり信頼していたものと思われます。この手紙の翌年ごろから曲翠(きょくすい)と改号したため、芭蕉関連の本では曲翠と書かれることも多いです。芭蕉が亡くなって23年後の享保2年(1717)、不正をしていた家老を殺害したあと、自刃しました。
手紙はだいたい次のような内容です。
(1)曲水やその息子の安否を気遣う挨拶
(2)力を入れて作った自分の句に曲水が感動したと人から聞いたので、そのことへの感謝
(3)2年前に過ごした幻住庵を、曲水が修復してくれていることへの感謝
(4)俳諧の道を進む者を3種に分類、曲水は(c)なので、これからも精進してほしいと激励
(a)句作を点を競う勝負事と捉えて、それに明け暮れる者
(b)簡単に次々と句を作って、宗匠に点数をつけてもらって面白がることを趣味とする金持ち
(c)過去の優れた詩人たちのことを考えながら、彼らにつながる俳人になろうと精進を続ける、ごく少数の者
(5)問題のある弟子・路通の愚痴
以上です。
(4)の3分類が有名な部分です。芭蕉が(c)のような姿勢で、俳句を芸術に高めようと考えていたことがよくうかがえます。
また芭蕉とは関係のないことですが、曲水が家老を殺して自害した後、この手紙にある曲水の息子をはじめ、家族は大変だっただろうと思わずにはいられません。