見出し画像

SNSをやめ、友人との距離をおいて/そして森田真生さんの書籍との出会い

「自分のことばを探す」と始めたnoteも2回坊主で止まってしまい、早くも年の瀬。2024年は自分の中に多くの変化があり、自分のために記録しておきたい気持ちから、記事を書いてみることにしました。

反出生主義的思想の醸成

私は2021年頃から反出生主義的な考えを持っていました。
社会はあまりにも不条理で、地球は悲鳴をあげている。日本で生きていく上で、人生はそのほとんどを詰め込み型の勉学と仕事に費やすことが目に見えている。子どもの頃に負った傷や、拙かった頃の自分の所業に対する羞恥心を抱えたまま生き続けないといけないのも地獄。自分が愛する存在(子ども)に、人間として生きることを強いるなんて私にはできない。そんな風に考えていました。

「私は子どもは産まない」と心に決めていたのですが、昨年から付き合っていた恋人は将来子どもがほしいと言っていました。付き合っていく中で彼の人としての魅力に惹かれ、気持ちが高まるのに比例するように、自分の価値観と向き合う時間も増え、上記のようなネガティブな思考で頭がいっぱいになっていきました。子どもを産んでいる友人への嫌悪感が高まり、自分を産むことを決めた両親にすら憎しみが高まっていきました。

自分への憎悪

ネガティブな思考に執われる中で、自分の醜い部分がどんどん剥き出しになっていきました。
そもそも私は小学校高学年からブログなどのソーシャルメディア中毒で、Instagramや、昨年から始まったThreadsに執着していました。
誰かの投稿を見ては人を見下す日々。特に結婚・出産・子育てに関する投稿は見るたびに嫌悪感を感じていました。中毒だったので10分に1回はInstagramを開いて、大体誰かしらが結婚式か子どもの写真をあげていて、その度に虫唾が走る思いでした。こういった気持ちは、年齢を重ねるごとに高まるようになりました。
一方で投稿する側としては、自分をよく見せるため、自分は他者とは違う価値観で生きてるんだとひけらかすことを意識しまくりながら、InstagramのストーリーやThreadsの投稿を繰り返していました。
他者への嫌悪感と、自分を棚にあげて人を見下す自分に嫌悪感が増し、ますます生きづらさを感じて反出生主義的な気持ちが高まっていきました。一方で、そういう感覚を持つ自分への自惚があったり、快感があったのも事実です。

しかし、そもそもそこで投稿していたことや心の中で思っていたことも、価値観や主義・思想と呼べるほど立派なものではなかったと思います。XやThreadsで目にした誰かの投稿への共感ばかりで、どれが自分の本当の感覚や気持ちで、どれが周りの目を意識して醸成されたものなのか、もうわからなくなっていました。
昨今のウクライナやパレスチナでの戦争や虐殺、また2024年の頭に起きた能登での震災や日々報道される多くの災害、また家父長的でやさしさの薄れた社会に対して希望が持てず、そんななかで結婚や出産をしている周りの人たちに対して、「思考が浅い」といった苛立ちを常に感じていました。しかしそれは、過酷な環境で生き延びようとしている人たちへの寄り添いの気持ちと言うよりも、「私はあの子たちと一緒のようにはなりたくない」という歪んだプライドだったのだと思います。

この頃、付き合っていた恋人との関係が希薄になっていきました。
友人に彼との関係について話すたびに彼のことを悪く言われたり、彼との関係について人から聞かれるたびにうまくいっていないことが露呈して、虚しい気持ちになることが続きました。ある日久しぶりに会った友人から、「そんな人とは別れた方がいい」「その人はあなたのことが好きじゃないんだよ」と言われました。「彼と会ったこともないのになぜそんなことを言われなきゃいけないの?」と思い、これをきっかけに他者から干渉されることが嫌な自分に気づきました。

こんな私でも友人たちには恵まれていたのですが、もう自分の生活や人生に関して誰にも何も言われたくなくて、東京に出てきてから10年以上仲良くしてくれていた人たちとの関係を一方的に切ることにしました。誰かの生活やライフイベントにいちいち感情を抱くことにも疲れて、これと同時期にInstagram、Facebook、X、Threadsのアプリを削除しました。この頃の私は眠れない日々が続いていて、人と話すたびに過度に緊張するような状態になっていました。家族の薦めもあり、心療内科に通い始めました。

森田真生さんの書籍との出会い

薬にもだんだん馴染み、少しずつ気持ちが安定してきた頃、数学者の森田真生さんが新訳された『センス・オブ・ワンダー』という書籍に出会いました。森田さんの著書との出会いによって、私の雁字搦めになっていた心は少しずつ解きほぐされていきました。

センス・オブ・ワンダー

『センス・オブ・ワンダー』では、レイチェル・カーソンが書いた原作の訳文のあと、森田さんと二人の息子さんたちが自然の中で生活する様子が書かれています。その豊かさを語った結びに、こんなことが書かれています。

現代において、環境の問題は、カーソンの時代に比べていっそう深刻化し、全面化している。気候変動や生物多様性の急激な現象と、根底から壊れていくこの世界の現実を前に、人類がこれまでの生き方をあらためていく必要があることは明らかである。
だが問題が、この「必要」という点にある。僕たちは果たして「必要」の一点だけに、生の全体を託してしまっていいのだろうか。
(中略)「必要」とは「生きるための必要」である。とすれば、「必要」が、すべての価値の基礎として疑われないのは、生きることが、生きていないことよりもよいことだと信じられているからである。
だがそれはどうしてなのだろうか。どうして生きていないことよりもよいことなのか。(中略)突き詰めればそれは、「生きるということが、どんな生でも、最も単純な歓びの源泉」だからなのだ
(中略)「必要」はますます切迫している。しかしだからこそ、僕たちは必要の奥で、必要に意味を吹き込む、歓びの源泉を見つけ出していかなければならない。

森田真生『センス・オブ・ワンダー』P172

私の反出生主義的な考え方の根源はこれだ、と思いました。「必要性」という観点でしか、人間が生きることの価値を考えられていなかったことに気がついたのです。
新たな人間を増やすべきではないと考える一方で、人間は誰しも幸福を希求する権利がある、と兼ねてから私は信じてきました。でも「幸福」とはなんだろう、という問いへの答えはずっと見出せないままでした。自分自身もこれまでの人生を振り返って、そして今この瞬間の自分に対して、「私は幸福な人生を歩んできた」「私は幸せだ」といった感覚を持つことができずにいました。
でもこの文章は、そんな「幸福」や「幸せ」みたいな大きなことを希求しなくてもいいんだ、と思わせてくれました。生きていたら嫌なことも辛いことも苦しいこともあるけれど、日々の生活の中に歓喜の瞬間を見出すことができればそれでいい、その源泉を見つけ出す努力を人間はするべきである、と。そしてその歓喜の瞬間、人間として生きていく中で感じる豊かさとはこの世界にたくさんあるということを、SNSと距離を置いて、人からどう見られるかばかりを気にする生活をやめたことで、徐々に感じられるようになってきたと思います。

僕たちはどう生きるか

『センス・オブ・ワンダー』に大きく心を動かされ、次に手に取ったのが『僕たちはどう生きるか』。この本との出会いにより、自分の中で醸成されていた嫌悪感やプライドがとてもちっぽけだったこと、そんなものに執われていたことのくだらなさを痛感しました。

この先にどんな行為の可能性があるのか、僕にはまだわかっていない。だが、わからないからこそ、探り、遊び、試み、転び、そしてまた立ち上がりながら、これから生きていくことができる。
俯瞰し、理解し、支配し、制御し、まとめ、整理し、管理し、冷笑し、見下ろすために僕たちは生きるのではない。模索し、問い、適応し、傷つき、失敗し、混乱し、逸脱し、笑い、感謝し、願い、受け継ぎながら、僕たちは弱く、悲しく、しかしだからこそ他者と呼応し、響き合うことができる存在として、この巨大で、全貌を見渡せない宇宙の片隅に遊び、それぞれの生を奏でていくのだ。

森田真生『僕たちはどう生きるか』P187

模索しながらひとつひとつの課題に向き合い、少しでも良い方向に導こうとすること。一人ではなく、それぞれに弱さを持った他者と支え合い、話し合いながら人生を紡いでいくこと。これもまた、「それで良いんだ」と思わせてくれる文章でした。それこそが人として生きることの豊かさなのかもしれない、と最近は思います。

模索しながら生きていくこと

とはいえ誰かと支え合いながら生きていくというのはそう簡単なことではありません。当然のことですが、自分がそうしたいと思っても、他者が歩み寄ってくれない限りはその関係は成立しないのです。
結局、当時付き合っていた人とはその支え合いの部分がうまくいかず、すれ違い、別れることになってしまいました。自分が支えられたかったのと同時に、「支えてほしい」と思って欲しかった。でも相手の方は、その手を取ってくれなかったのです。

そもそもその彼に惹かれていた理由が、彼が自身と他者を比較しないこと、誰かを見下したりしないことにありました。そんな彼だったから、「この人とだったら子どもを豊かに育てていけるかもしれない」といった気持ちも持ち始めていました。その彼とうまくいかなかったことはとても悲しいけれど、それでも彼との関係や、自分を見つめ直すこと、また素晴らしい書籍との出会いを通して、大きな変化や学びありました。SNSをやめて友人との距離も置くことで、自分と他者を比較しなくなったことも大きいです。人に見られるための自分ではなく、本当に自分が思うこと、考えることは何だろうという視点で自分と向き合えるようになりました。そして、そういった等身大の自分で居られる人との付き合いをきちんと大切にできるようになりました。

心療内科には引き続き通っていますが、睡眠を助けてもらう薬以外は服用する必要がなくなりました。仮に友人との関係を戻すことができて、SNSを再開したとしたら、きっと私は元の状態に戻ってしまうと思います。うまく距離を保つことが心の安定や豊かさにつながっていると、日々感じます。

2024年は削ぎ落とし、研ぎ澄まされた1年だったと感じます。
来年は明るく穏やかな心で過ごせたら良いなと思っています。

いいなと思ったら応援しよう!