見出し画像

第2回文化芸術基本法を読む会 まとめ

3月12日、松陰神社前のスナック「みずとひ」で開催した、「文化芸術基本法を読む会」には、多くの方々にお越しいただいた。

この会では、前半に、法律文を輪読し、後半に「雑談」を行っている。ここでは、この雑談の部分で話されたことをまとめた。

※専門的な観点から見れば、多少事実誤認などが含まれるかもしれませんが、ここで話されたのは専門家ではない「一般人」がこの条文を読んだ「印象」です。

画像6

第二条 文化芸術に関する施策の推進に当たっては,文化芸術活動を行う者の自主性が十分に尊重されなければならない。

「文化芸術活動を行う者の自主性」を尊重するといくつか出ていますが、こういうコロナウィルスのような時に、公共劇場をはじめとして多くの劇場が閉鎖されます。その時、劇場の自主性はほとんどないのではないか? この自主性はどういう時に使われるものなのか?

2月26日にイベントの自粛要請が出されましたが、その時に「やめる」「やる」という人が半々くらいでもよかったのではないか。それなのに、ほぼみんな休演をしている。自主性ではなく流されているような気がします。
※このイベントは3月12日、緊急事態宣言前に行われたものです。

→公共とは、コモンズであり、オープンネスのこと。決して、国や自治体がお金を出していることがオープンではない。ドイツ語で公共は、「開かれていること」を意味する言葉。ドイツ人が考えている公共性とは、国や行政ではなく、開かれているもの。

第二条3 文化芸術に関する施策の推進に当たっては,文化芸術を創造し,享受することが人々の生まれながらの権利であることに鑑み,国民がその年齢,障害の有無,経済的な状況又は居住する地域にかかわらず等しく,文化芸術を鑑賞し,これに参加し,又はこれを創造することができるような環境の整備が図られなければならない。

・「年齢,障害の有無,経済的な状況又は居住する地域にかかわらず」と定義されている。身体が動かせなかったり、外出が難しくて、劇場に行ったりすることができない人もいる。このように誰もが文化を楽しめる社会が理想だけど、なかなか現実にするのは難しいかもしれない。理想論だけど、舞台鑑賞や音楽鑑賞で気持ちが豊かになることによって、外に出たくなる。行動力につながるのではないか。

・「人々が生まれながらに享受する権利」のある文化とはどのようなものなのか? 歌舞伎とか伝統芸能など、ここに列挙されている国が定めた文化であれば、享受させてあげるよっていうこと?

第八条 国は,文学,音楽,美術,写真,演劇,舞踊その他の芸術(次条に規定するメディア芸術を除く。)の振興を図るため,これらの芸術の公演,展示等への支援,これらの芸術の制作等に係る物品の保存への支援,これらの芸術に係る知識及び技能の継承への支援,芸術祭等の開催その他の必要な施策を講ずるものとする。

ここには振興すべき芸術が一覧にされていますが、そもそも音楽と言っても色々あるし、文学にもいろいろある。これらに入らないのは芸術ではないのか? 自分のイメージだと、「文化」はすでにあるもの、「芸術」は、まだないものという印象を持っている。「文化」にまで至っていない芸術には冷たいのではないかと思う。

第十一条 国は,講談,落語,浪曲,漫談,漫才,歌唱その他の芸能(伝統芸能を除く。)の振興を図るため,これらの芸能の公演,これに用いられた物品の保存等への支援,これらの芸能に係る知識及び技能の継承への支援その他の必要な施策を講ずるものとする。

別の条文では演劇について書かれていますが、落語や漫談、漫才などは演劇の一種とも言えるのでは? また、前文で文化芸術は「心豊かな社会を形成」と書かれているけれども、じゃあ、この豊かさってなんだろう? 自分は、いろいろな視点が手に入ることや、多角的な視点があること、固有の経験が積み重なることが豊かさだと思う。

第十八条 国は,国語が文化芸術の基盤をなすことにかんがみ,国語について正しい理解を深めるため,国語教育の充実,国語に関する調査研究及び知識の普及その他の必要な施策を講ずるものとする。

・これは唐突に聞こえる。その前に、生活文化・伝統芸能・地域・国際などいろいろなエリアを想定して書いているけれども、唐突に国語が文化芸術の基盤をなすと書かれている。そういう側面は確かにあるかもしれないが、前提も根拠もない。言語を必要としない芸術もあるし、言語は手段であり、芸術文化そのものの価値ではないのでは?

・国語は国民をまとめ上げる道具として使われるという話を聞いたことがあります。ここで言われているのは日本語ですよね。アイヌ語、あるいは日本手話なんかも無視されている。言語は文化だと思いますが、そういった日本語以外の言葉に対する扱いが抜けているように思います。

画像7

第二十二条 国は,高齢者,障害者等が行う文化芸術活動の充実を図るため,これらの者の行う創造的活動,公演等への支援,これらの者の文化芸術活動が活発に行われるような環境の整備その他の必要な施策を講ずるものとする。

他の部分で「広く国民が」といっているのに、第二十二条で障害者や高齢者を分けている。その他にも、地域、美術館、学校など、いちいち場所を区切って分けていますよね。それが法律なのかもしれないけど、いちいち引っかかる。それが、法律と文化芸術の相性の悪さかなと思います。

第三十条 国は,地方公共団体及び民間の団体等が行う文化芸術の振興のための取組を促進するため,情報の提供その他の必要な施策を講ずるものとする。
第三十一条 国は,個人又は民間の団体が文化芸術活動に対して行う支援活動の活性化を図るとともに,文化芸術活動を行う者の活動を支援するため,文化芸術団体が個人又は民間の団体からの寄附を受けることを容易にする等のための税制上の措置,文化芸術団体が行う文化芸術活動への支援その他の必要な施策を講ずるよう努めなければならない。

民間の会社で芸術系の仕事をしているので、第三十条、三十一条が気になりました。国が定めた法律だからか、公共機関のことはいっぱい書かれているけれども民間団体は突き放してあまり書かれていないような気がする。それなのに、寄付のことだけかなり具体的に書かれている。それが気になりました。

第三十三条 国は,文化芸術活動で顕著な成果を収めた者及び文化芸術の振興に寄与した者の顕彰に努めるものとする。


顕彰する、つまりどんな芸術や文化が優れているかを国が主体的に価値付けをするということですよね。それは、教育勅語と根本的には変わらないのでは? 誰が総理大臣か、誰が文部科学大臣かでレベルの違う価値付がなされてしまう。これは削除すべきではないかと思います。

【そもそもこの法律は……?】
・なぜ、「文化芸術」っていう順番なんでしょう? それに、そもそも芸術と文化とは違うものなのでしょうか? また、これは平成13年に定められた法律ですよね。その前には、こういう法律はなかったのでしょうか? なぜ、そのタイミングで法律を定めたくなったのでしょうか? 

この法律は大手ゼネコンや広告代理店のためにつくられたのではないか? メディア芸術祭を企画したり、建物をつくりなさいという意図があるように感じる。リーフレットの最後には、東京五輪との関係性も書かれています。この中で、文化芸術に関わる人々の支援もかかれていますが、応援するならこの文章ではないような気もします……。

【おまけ 参加した小学生の意見】
文章の中に()が多すぎるし、ふりがな振ったほうがいいと思う。文化と芸術の違いは……伝統的なものが文化で、芸術は今から生まれるものじゃないかな。

画像2

画像3

画像4

画像5


かもめマシーンの活動は応援してくださる方々に支えられています