公共劇場で上演する俺が代

シアターコモンズの「更地」リーディングパフォーマンスが終わって間もないけれども、「俺が代」という作品を上演するための稽古は始まっている。愛知、東京、沖縄というツアーだ。

このツアーを行うきっかけは、愛知県芸術劇場のYさんから声をかけられたからだ。始めは、「新作をやるならぜひツアーで回って」という話だったものの、平成〜新元号に切り替わるというタイミングだったこともあり、俺が代の「さよなら平成ツアー」で、となった(このツアーのネーミングはYさんだったと記憶している)。ちなみに、YさんはAAF戯曲賞を抜本的に変えた人で、彼女がいなかったら松原俊太郎さんの岸田戯曲賞受賞もなかったといっていい。

さて。

今回、上演する中で、僕がとても面白いと思っているひとつが、愛知県芸術劇場が、愛知県による公共劇場だということ。内部まで詳らかに知るわけではないけれども、公共劇場の中でこんな「政治的」な作品をやるのは面倒くさい。日本国憲法をテキストとして使ったこの作品は、いくら「改憲でも護憲でもない」といったところ「はいそうですか」とスルーされるものではないだろう。劇場内のいろいろな人に対する説明も必要だろうし、苦情の電話もかかってくるかもしれない。もしも政治家から圧力がかけられたら、僕はヘラヘラしながら「こんなことがありましてねー」とアフタートークで喋るかもしれないが、事業担当者としてはたまったもんじゃないだろう。集客が見込まれる人気劇団の公演ならいざしらず、集客にヒーヒーしなきゃならないことが火を見るより明らかな劇団の面倒な作品をこんな風に取り上げるのは、日本広しとはいえ、あんまり多いとは思えない。僕が事業担当者なら、リスクを考えると、面倒くさいので呼ばないだろう(昨年上演した京都芸術センターは、正確には劇場ではないので例外として考える)。

愛知県芸術劇場は、僕らを呼んでいるので、見る目があって、センスがよくて、挑戦的な素晴らしい劇場だと褒めそやしたいわけではない。

そうではなく、別に僕らの作品じゃなくても、アクチュアルな問題を取り扱う作品が上演されることは、公共劇場のひとつの役割となり得るのではないか、と言いたい。政治を扱ったり、社会問題を扱ったり、演劇はある種の娯楽であると同時に、それだけではない可能性を持っている。だから、地方自治体は多額の税金を注ぎ込んで劇場という施設を作ってるんじゃないだろうか。つまり、「公共」がつくった「劇場」ではなく、「公共」のための「劇場」という意味で、「公共劇場」という言葉が使われるべきだと思っている。

(とはいえ、この「公共」に関するコンセンサスがないから大変なのだけど)

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