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どうしてカチューシャをつけるの?は、どうして空は青いの?と同じ質問だ。
もう、誰かに胸を焦がすことすら出来なくなってると思ってた。本気で誰かを好きになったことなんて多分一度もない。自分1人でも割とカラーな世界で生きていけてるし。でも違った。あなたからの誘いが来た途端、眠れなくなる。ちゃんと女になれる。私の世界にどんどん色が足されていくのがわかる。
1日がやっと終わった。仕事で、暑さで、疲れた身体にムチを打つかのように今日も満員電車が迎えにくる。早く夏が終わらないかと何回願ったかわからない。ジメジメしたこの暑い夜ももう何度目だろう。地獄のような日々の特効薬をくれるような大切な存在がいますか? 誰かを想いながら生きてますか?
どんなに辛いことがあって落ち込んでても世界は止まらないし、どんだけ自分が悲劇のヒロインぶってもみんなが心配してくれるわけでもない。世界は残酷だと叫びたくなる。それでいい。だってその世界は自分が望んで作ってる世界だから。悲劇のヒロインに、残酷な世界に酔いしれてるのは自分なんだから。
変わってるね。とかずれてるなあ。とか。
こういうこと言う人って、あたかもその人がダメな人間かのように言い放つけど
そうやって決めつける人のほうが変わってるしずれてる。
それに。自分にはないものがあるからそう言うんだろうね。
ないものねだりなんだろね
言葉の世界は底なしの怖さね。
後々、すごく後悔した。
どんだけ後ろめてるんだろ。
前を向ける後悔はどこ
昨日が去年になってから5日目の朝を迎える。また当たり前のように今までの生活に戻って、同じような毎日を過ごす。 年明けの、喜びに溢れた気持ちはどこへ? この、気持ちの差がいつも寂しさを呼ぶ。私の心の中は早くも空っぽになる。この情緒は私の人生において付き纏うものなのかもしれない。
街を歩く。人混みの中を。もう本当に年の末なんだと思わせられてしまうような流れの速い人の中を。前から来る名前も分からない大勢の人の中へと。そんな忙しない日だとしても、いつもより少し背伸びして、少し贅沢な香りと服を纏わせ、歩く。 自分はこの景色に染まらない花だと、主張するかのように。
これだけは許せないことは?と聞かれたら、「音を立てて食べる人」と即答する。この場合、音を立ててる本人は何が悪いのか全く気づかず幸せに食べてるということ。この点が本当に厄介。その音を聞かされてる側の人間はもはや何も喉を通らないほど世界が残酷に見えているというのに。
良し悪し関係なく自分の知らなかった部分をちゃんと伝えてくれる、教えてくれる。そういう人が周りに何人も居る今の自分の環境に感謝した。「お前にとって今、そういう人たちに会うようにできてんだよ。」偶然と必然は紙一重だと身を持って実感してる。