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【映画紹介】映画はずっとみんなの娯楽『ニュー・シネマ・パラダイス』
2025年2作品目の映画は『ニュー・シネマ・パラダイス』。
あらすじ
イタリア・シチリアの小さな村では映画館が唯一の娯楽。小さなトトは母親に内緒で映画館に通いつめており、彼はフィルムで埋め尽くされた映写室と、映写技師のアルフレードに心奪われていく。最初、アルフレードはしつこいトトを煙たがるが、やがてふたりの間には友情が芽生え始める。
映画に音楽に街並みに
あらゆる芸術の良さを感じさせてくれた作品。
映画こそが本作のメインテーマであった。正確にいうと映画というより映画館ともいえるが、テレビが普及する前から人々に愛された娯楽であった。
現代の映画館では各々が黙々と作品を鑑賞することが常識であるのに対して、本作では映画を見ながら人々が歓声を上げたり、隣の人に話しかける様子が描かれていた。今の常識に照らすと非常識で迷惑行為であるが、映画館こそが人々の交流の場であり、世代を超えて一つの作品を通して時間を共有できる空間は私の目には魅力的に映った。
作中で流れる音楽もトトのその時々の感情や状況にマッチしていて、作品に没頭させる一つの要素となっていた。映画は音楽なしでは高いクオリティーを担保できないように思う。歌詞のない音楽がこんなにも人の心や気持ちに影響することが不思議で面白いなと感じている。
そして、街並み。当時は実用性を重視しての作りだったのだろうか。それでも小さな街並みの建物とか田園景色が印象的だった。
昨年スペインを訪れた際に感じたが、日本の街並みとは異なる。日本は実用性を重視して、どこか洗練された建物ばかりのように感じる。洗練とはいっても上品さを感じるかと言われれば素直に頷くことができない。でも確実に無駄はない。不便さはないし、困りもしないけれど味気無さを感じることはたまにある。
欧州の建物は豪勢だ。建物を建物たらしめるために必要かと言われればそうでもない。しかし、心をくすぐるような、感嘆の息をもらしたくなるような「無駄」があるのだ。ヨーロッパは街並みでさえ、芸術のように感じる。
そんな街並みが作中に登場した。
いつかシチリア島にも行ってみたいものだ。
少年×おじさんってやっぱいい
『アバウト・ア・ボーイ』という作品でも少年×おじさんコンビが描かれていたが、またそれとは違ったコンビ。『アバウト・ア・ボーイ』では、純粋無垢な少年と頑張ることも人付き合いも嫌う腐ったおじさんがフィーチャーされ、二人の出会いによる化学反応がおもしろおかしく描かれいていた。一方で、本作はたしかに純粋無垢なんだけど、どこかずる賢いトトと心優しくも無学なことにコンプレックスを抱いているけれど心優しいアルフレードが主要な登場人物。二人の友情が引き起こす化学反応を描いた物語なのだけど、滑稽さや面白さよりも心に寄り添ってくる温かさがあった。
文化の違いか?時代の違いか?
先述の通り、現代の映画館と違って、「映画を見ながら人々が歓声を上げたり、隣の人に話しかける様子が描かれていた」様子がこの映画では描かれていた。
海外の映画館はアメリカとシンガポールくらいしか行ったことがないが、果たしてこのように映画館の在り方の違いは文化による違いからくるものなのか、時代の変化から来るものなのか気になった。
おそらく時代も文化もあるだろう。特に本作で描かれていたのは、多くの人が顔見知りのようなシチリアの小さな村の物語だ。
なにはともあれ、本作では「テレビの普及によって映画館への客足が遠のいている」という問題提起がなされていた。
映画館の在り方は変容するのか?
ここで、一つ問いだけ残して終わりにしようと思う。
「テレビの普及によって映画館への客足が遠のいている」事実を映画はどういう付加価値によって解消していくのか。
インターネットの発達によってさまざまなものが変化してきたが、これからも変化していくだろう。
例えば小売り。ECによって店舗にあり方も変わっていくだろう。
実際にすでに機能の変化が起きているのが、「タワレコ」。
デジタルで音楽を聴くのが当たり前の時代に、タワレコが過去最高益。
— なんぼー | Taishi nambo (@architectizm) December 4, 2024
大きな理由として、実店舗が「ファンが応援するための場所」として機能し始めたことが大きい。
年間1万回のイベントが開催し、アーティストとファンが触れ合える場所。
熱量が可視化する場所として売り場もより情報量が増えてる。 pic.twitter.com/WWJywO6WMA
音楽のサブスクによって店舗でCDを買う意味が失われてる中で、実店舗に新たな価値を付与したタワレコは成功事例と言える。
一方で、TSUTAYAは私の知る限りではあるが、店舗縮小が数年前から急激に進んでいる。店舗として勝負するのではなく、他のフィールドでの勝負で路線変更したと認識している(リサーチ不足の可能性かなり高デス)。
なにはともあれ、最初の疑問に戻ると、
では映画館は?
1990年代であろう作中ですでにテレビの普及によって映画館の需要が減少していることが語られ、サンパウロが少年期から青年期を過ごし、アルベルトとの思い出が詰まった映画館が崩れ落ちる様子が描かれていた。
なんだかんだ映画館(シネコン)は、日本において多く存在している印象だ。(あくまで首都圏に生きているからこその感想だが….)
しかしそれでも、さらなる発展の余地はあるのかは疑問に残る。
さらに、ミニシアターが減少しているのは事実。そして、映画料金の値上げも減る客数分の売上を取り戻すための施策とも取れる。
そう考えると映画館も「映画を鑑賞する」以外の付加価値が求められてくるのだろうか。果たしてその価値とは何なのか。
まさに『ニュー・シネマ・パラダイス』で描かれていた「空間も時間も共有して一つの作品を楽しむ彼らの姿」にヒントがあると感じなくもない。
(応援上映はすでに存在するが、そういうことなのだろうか?)
とはいえ、マナー問題もある
女子中学生が映画館でまさかの行動に…SNSで怒りの声殺到も、どれだけ注意してもなくならない映画館でのバッドマナー(集英社オンライン)