リベラルな人ほど気を付けたい特権意識のこと
最近、印象に残った書籍の一つがロビン・ディアンジェロの「ナイス・レイシズム」です。
アメリカにおいて、ダイバーシティや差別に対しての意識が高い白人ほど他の人種を無意識に差別してしまうという内容です。
解説を担当する上智大学の出口真紀子先生は、「研修講師を担当するマイノリティ当事者を歓迎はしても、どこか消費するだけで終わってしまうことはないか」と投げかけています。
「理解していますよ」という姿勢は示すけれど、本質的には理解しようとはしていない、受け入れてあげていますよと言う姿勢を示すだけではないのかというのです。
なぜリベラルな日本人のあなたが?——『ナイス・レイシズム』の射程
「白人」を「健康体の日本人」と置き換えると、多くの方の理解が進むかもしれません。職場や地域におけるマイノリティの方、例えば障害がある方や年代が異なる方、性別が異なる方、出身が異なる方に対して「理解していますよ」という姿勢は示しているが、「受け入れてあげていますよ」という意識が抜けていないかもしれないということです。
つまり、自分達マジョリティの世界にマイノリティの方を受け入れてあげるという姿勢であって、本質的に交わって一緒に新しい関係構築をしていこうという姿勢ではないということです。
誰にでもあるかもしれない感情です。自分自身の中にも多様な感情が混在しており、理性ではマイノリティを受け入れようとするが、葛藤もおこっているんですよね。
まずは自分の状況を客観的に知ること、そうして多様な方から見て自分たちがどう見えているのかも考え、お互いが交流して新たな関係を構築していくことが大切かもしれませんね。
ダイバーシティ&インクルージョンのワークショップでお伝えしています。
日経の記事より「ダイバーシティ研修、米フロリダでは「違法」の怪」
「社会的強者=白人男性」の前提は逆差別