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続 特権を持つマジョリティと、抑圧の関係

インクルージョンを推進する際に、マイノリティではなくマジョリティ側への支援から進める考え方について、前回ご紹介しました。なぜ、この視点に気づいたのかについて、お伝えします。


マイノリティとマジョリティを行き来すること

90年代に社会人となった私には、男性が中心で活躍するビジネスの場において、女性としての疎外感や居心地の悪さを感じることは頻繁にありました。一方で、子育てや地域活動の中では女性が中心で、男性が参加する際にお互いに居心地の悪さを感じることもあったのです。また、女性の中でも子供の有無や婚姻の有無、就業形態の違い等でお互いに居心地の悪さを感じることがあり、なぜだろうかと考えるようになったのです。

振返って考えることは、男性中心の世界で無意識に感じた疎外感や居心地の悪さが、自己概念の中で消化しきれておらず、今度は自分がマジョリティである場に入った際には、マイノリティ側に立った人に対して無意識に疎外感や居心地の悪さを与えていたということです。

マイノリティだったのだから、そのようなことをするはずがない、という罪悪感で表明しにくかったのかもしれません。けれども、誰でも、どちらの側にも立つ可能性があるのではないでしょうか。

yuki otaさんから、ある組織ではマイノリティであっても、高学歴という点では特権を持っているというお話をお聴きして、考えさせられることがありました。


無意識で誰かを傷つけているかもしれない気づき

聴覚障害者である伊藤さんから、手話サークルでの活動で、他のメンバーが手話ではなく言葉でコミュニケーションをとっていて疎外感を感じることがあるというお話がありました。

社会貢献活動、周囲をサポートする役割等を担っていたとしても、どれだけ意識をしていたとしても、誰かの居心地の悪さを創出していることはあるかもしれません。それを意識するだけで変わってくるように思います。

また、伊藤さんは高学歴、大企業勤務という点では特権を持っているとおっしゃっていて、マイノリティでもありマジョリティでもある点のジレンマについて私たちに示唆を示してくれました。

マジョリティの特権について気づくことは、マイノリティとマジョリティを行き来し、マイノリティのための支援を受けた際の違和感がきっかけなのかもしれません。どちらの側も楽にするために、広い視野を持って行動を続けていきたいと思います。