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『友人の本棚~1分で読める感想文~』Vol.46「1ミリの後悔もない、はずがない」

「今までの人生で一番の後悔は?」
こう問われたときに、人は何を思い浮かべるだろう。と書いておいてなんなんだけれど、僕はあまり後悔というものをしたことがない。もちろん、人生が順風満帆なんてことはなくて、今もこうしてもがき続けているのだけれど、でも後悔というよりも、「まぁ人生なんてなるようになる」とどこかで思っている節があるからかもしれない。そんなことを話していたら、この本を紹介された。

ふとした瞬間にフラッシュバックした、あの頃の恋。逃げ出せない家庭、理不尽な学校、非力な子どもの自分。誰にも言えない絶望を乗り越えられたのは、あの日々があったから。忘れられない恋が閃光のように突き抜ける、究極の恋愛小説。

絶望には二種類ある。何かをうしなう絶望と、何かを得られない絶望。
私の絶望はいつも後者で、手に入らないものを渇望するのは、本当に屈辱的なことだと思った。
(中略)
私は二十年後も、今と同じように諦めているのだろうか。
うしなう絶望は怖いからと、自分では何も変えようとせず、日々に流されて。もしかすると、それがまたこの先の後悔に繋がるかもしれないのに。

失うのが怖い、あるいは手に入らないのが怖いから、最初から手に入れようとしない。あたかも望んでいないフリをして、もともとそんなものに興味はなかったのだと自分に言い聞かせる。これは夢や希望など持つだけ無駄だと思っていた以前の僕と全く同じで、胸が締め付けられる気がした。

「酸っぱいぶどう」という寓話がある。ある日キツネが木になっているぶどうを取ろうとしたけれど届かなくて、「どうせあのぶどうは酸っぱいに違いない」と、自分を慰めようとしたという話。手に入らなかったものを過小評価をして、自分を納得させる。人は自分に都合の良いように解釈をするから、むしろそうでもしないと自分の自尊心を保てないから、そうせざるを得ないのだ。

でも、今なら分かる。人が一番後悔するのは、挑戦しなかったことだ。手を伸ばさなかったことだ。欲しいものを欲しいと言えなかったことだ。好きなものを好きだと言えなかったことだ。納得いくまでやらなかったことだ。そう考えたら、以前の僕は後悔する資格すらなかった。だって何も挑戦してこなかったから。

これからは、たくさん挑戦しよう。手を伸ばそう。欲しいものを欲しいと言おう。好きなものを好きだと言おう。納得いくまでやろう。それがきっと、本当の後悔しない生き方だと思った。

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