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じぶんでじぶんのことを幸せにできるのか?


眠れない夜がまた来てしまった。眠たいのに、眠たいはずなのに、考えれば考えるほど眠れなくなってくるのは子どもの頃の次の日遠足だから楽しみで寝られない。あれではないことだけはわかるからもう子どもではなく大人になれたのかもしれない。最近は体調を崩してから余計に夜寝れなくなってきている。体調も良くならなければ夜も寝れるようにならないなんて、じぶんの身体と心はどうなってしまっているんだ。


子どもの遠足気分とは裏腹に、年齢的には「大人」と言われる。なので辞書で「大人」という言葉を引いたら「一人前に成人した人」と書かれていた。この歳だからといって大人になれる訳でもないけれど子どもでいられる訳でもない。


それでも夜は好き。仕事が終わった帰路は何故か仕事のアイディアがすごく浮かんでくる。仕事中や朝ではなにも浮かんでこないことが急に浮かんでくる。
仕事から開放された安堵感からなのか無敵になった感がする。身体は疲れていますが。


大人になれたかもしれないはずなのに、いくつになっても人を傷つけ続けてしまうのでしょうか。教えてGoogle。

社会人になり、カッコイイ大人に初めて出会うことができて大人になるのも悪くない。なんて上から目線で考えてたけど、その人たちには到底追いつきそうもないね。社会人になって5年目になるがいつまで経っても影も姿も見えないくらいな気がする。それでもあの人たちに追いつきたくて、追い越したくてその人たちに出会えたことでいまの仕事を続けられているのが幸って感じ。あの時、「また一緒に仕事しよう」って言葉はいつまで経ってもこびりついたまま。


20歳までは生きていないんだろうなと思っていた中高生の時から時は経ち25歳になった。生きている。世間一般でいうと大人。まだ生きている。むしろ生きたい。


大人になるということは自分を認めること、でもあるのかもしれないがじぶんのことを認められるほど自己肯定感は高くない。
自己肯定感が低い人は「じぶんを大切にできない」、「じぶんを好きになれない」らしく、「じぶんを愛しなさい」「じぶんのために生きなさい」と、彼女にこの間怒られた。でも、「誰かのためにする」ことが「じぶんのための時間」は「誰かのために動くじぶんの時間」だった。



それでも今年に入って、じぶんのことをじぶんが1番愛してあげたいと感じた。じぶんの事を1番愛してあげて、信じることが出来たら大人にまた近づけるかな。
受け入れられないじぶんもまだまだいるがそれでも受け入れたい。
そうやっていつもじぶんに言い聞かせてる。


じぶんと向き合ってじぶんを貫き通せるように。じぶんが選んだ道が正しいと思いながら進めるようになりたい。正しいと正当化出来るようにひたすら進みたい。
じぶん以外のだれかに心の舵をとられないように。

今も昔もじぶんのことが好きになれないことは変わらない。この先変わってるのかな、、、
それでも、じぶんを信じられるように

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