「好き」は変わるか、変わらないか|OneRoom/ジミーサムP
自分の「好き」に思いを馳せていたら、
中学時代にVOCALOIDが好きだったことを思い出した。
2000年代後半から、2010年代前半の話だ。
当時はニコニコ動画の最新VOCALOID曲が聴けるタグに常時張り付いて、全部網羅していたっけ。
それは、学生でお金のない身分だった私が、
一部の音楽トレンドを追える唯一の方法だった。
まあもちろん、当時は私のような一般人が創作していることが多かったわけだけど、それでもトレンドといえただろう。
いつからやらなくなったかといえば、もう自分の足で生きられるようになってからだ。
お金に制限を設けずに自由にエンターテインメントを選べるようになった私は、もうそんなことはしないだろう。
私がとりわけ好きだったのが、ジミーサムP(OneRoom)さん。
彼が短い期間で発信した音楽も、CDも、すべて網羅していた。
「なぜ好きか」というのはそうさして理由があるわけじゃなかった。
私は以前から、いや以前のほうが特に、直感型だった。
そこに言語化された理由はなく、直感だけですきを決めていた。
それを、今の私が言語化するならばこうだろう。
彼の初音ミクは、生音の中で軽やかに歌っていた。
女性的でも男性的でもなく、中性的な音楽だと思った。
好きだった元カノへの綿々と続く未練の歌は、私には理解できずに、
「どういうことなんだ?w」と思ったけど😂
軽いバンドサウンドで重い詞を歌うミクは、それでも軽く聞こえた。
どちらかと言えば軽いけれど意味があるものが好きだった。
私は昔から「見えないもの」を探ることが好きだった。
きっとジミーサムPさんもそうだったんだろう。
グショウダケガ シンジツジャナイノ
まだ子供だった中学生の私は、年上の一般人だった彼が書く曲を背伸びして聞いていた。
10代前半の私は、彼の歌う「感覚」を、体感としてはっきりと理解できていたとは言えない。
深夜3時までパソコンの前に座って、セーラー服のままで寝落ちたあの日の私は、
けれど、でも、人生で初めて「朝も昼も夜も消えていく」感覚を知っていた。
私が「絶え間無く変化するこの未来」を体感で理解できて、明確に言語化できたのは大人になってからだ。でも、この感覚を知っている人がほかにもいて、それを言葉にする人がいるんだと思った。
当時の体感でいえば薄暗く息苦しく長いモラトリアムは、実はもろくて短くて儚くて美しいものだと思う。
彼は私より10歳弱程度離れている人だ。
いま30代になって思うのは、当時20代中盤の人にしては、子供っぽい感覚を表現していた人だったかもしれない。
もう今手放しで共感できる歌とは言えないと思う。
たぶん10代前半だから、あの時が2000年代だったから、詞も曲も好きになったし、今でも自分に残っている。
やっぱ言葉にすると物事がチープになるな!
それ以外にもいろいろと理由があるはずなのにな。
最近はコンサートに向けてアイドルの歌ばかり聞いているけど、
帰り道、久しぶりに聞いてみようかな。