庄内町に“帰ってきた”
東北に若者の雇用をつくる株式会社(以下、東北雇用)が最初に手がけた商品は、「黒カステラ」だった。
「高尾山のかりんとうの“庄内版”をつくろう」
端的にいえばそういう発想だった。つまり、ぼくらの地元・多摩でやったかりんとうの製造スキームのように、地元のカステラ屋、醤油屋、福祉作業所をつなげて、黒カステラをつくろうとしたのだ。
このように庄内町での商品開発のなかで、MNHのやりたいことができたのには、理由がある。会長がドンパチやっていた時代は、第三セクターを母体にした補助金ベースの事業だったが、今回MNHは、自前で会社(東北雇用)を作った。前回の事も踏まえて、庄内町とは「理念を共有したうえで、お互い協力できることをしましょう」というスタンスをとったのだ。
さて、この「黒カステラ」。
結論からいうと、庄内町の協力が万全だったおかげで、とてもスムーズに商品化が進んだ。
今までぼくらの商品企画では、工場や福祉作業所などを自分の足で探し回ったが、この庄内町では、町の人たちが“全部”紹介してくれた。つまり、カステラ屋、醤油屋、福祉作業所、おまけに売り場や、冷凍設備会社……2回目にぼくが庄内町に来た日に、これらすべてのアポイントを取っておいてくれたのだ。
まさに、至れり尽くせり。「町が協力してくれると、こんなにすごいんだ」と感激するほどに、ありがたいことだった。
最終的にこの黒カステラは、地元の出羽三山の名を冠し、「出羽三山黒カステラ」というネーミングで販売することになった。
そして、福祉作業所を絡めた経緯や、東北雇用というユニークな社名でも注目され、地元テレビ局の取材も受けた。その年のGWには、出羽三山神社でも販売し、ぼくも売り場に駆けつけたのだった。
この商品は、改めて振り返っても、庄内町の人たちがいたから“こそ”、実現したと思っている。
前向きとか、優しいとか、そういう言葉では足りない。本当の意味で「庄内町の人の懐の深さ」があったのだと思う。実際これ以降に、違う地方都市でも商品づくりをしたのだが、庄内町のように立ちまわってくれるところは、今のところあまりない。
ちなみにこの後、庄内町は、ぼくをクラッセの検討会議(*)のメンバーにも選任してくれた。この大義名分により、山形出張時の旅費軽減にもつながった。そんなことにも配慮してくれたのかもしれない、と密かにありがたく思っている。
庄内町の人には、今でもとても仲良くしていただいている。そして庄内町にいくたびに、ぼくは「ああ、帰ってきた」というような、安堵感に浸ってしまうのだ。
(*)2014年に設立予定の、庄内町新産業創造館「クラッセ」において、住民への説明責任を果たすために設けられた会議体。クラッセは、「農・商・工・観」連携の6次産業化を促すことを目的に、町の人が新商品の開発や製造に取り組む拠点になった。
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