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「ザ・MNH 〜失敗と挑戦の15年間〜」

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とにかくやってみました。そしてとにかく失敗をしてきました。それこそが今のMNHを作り上げてきた大切なプロセス。MNHのリアルを紹介します。
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#玄米デカフェ

大舘のアメ事業⑤ 事業開始の前夜に悲劇は起きた

MNHの小澤です。 秋田・大館市で、消えゆくアメ事業を引き継ぐと決めたぼくら。 物件も買った。機材一式を運びいれた。人材も雇って修行をさせている。 「さて、どうやって改装しようか?」というところで、悲劇は起こった。 ————事業がストップしたのだ。 いや、中止せざるを得なかった、という方が正しいかもしれない。 理由は、ひとことでいえばMNHの経営悪化だ。 ぼくらはちょうどその10月に「縁日家やまがた(*1)」をクローズしたところだった。 「小売店はやはり難しい」とい

危機一発!コロナで生まれ変わった玄米デカフェ

MNHの小澤です。 試行錯誤によりできあがった「玄米コーヒー」だが、その後に「玄米デカフェ」に生まれ変わり、ゆくゆくはMNHの主力商品になっていく。 改めて振り返ると、この商品はいくども荒波を乗りこえてきたのに気づく。 まず2014年、庄内町で「お土産品」として売り始めた頃(*)。 そもそも「玄米コーヒー」は、あまりおいしいとは言われていなかった。 発売時も試行錯誤をしていたし、味が安定するまでには3年程かかったと思う。 当時のぼくらは「黒カステラ」や「つや姫スナック

夜な夜な焙煎して誕生した玄米コーヒー

MNHの小澤です。 2014年夏、庄内町に事務所をつくり、商品開発に挑戦していた頃(*1)。 「玄米を焙煎してコーヒーをつくろう」という話が持ちあがった。 そもそも庄内町は日本でも有数の米どころだ。 お米離れが著しい日本において、経営がひっ迫する米農家を守るため、新しいお米の価値をつくりたい。そういう実に正統的な理由からだった。 そして県をあげて推していた新品種「つや姫」を使うことになった。 玄米コーヒー自体は既にあった(他社がやっていた)が、まだまだマイナーな加工品ゆ

発見!お米を変えればご当地ものになる。

MNHの小澤です。 「つや姫」でつくったというだけで、お客さんが目を輝かせ、ばんばん売れていく団子。 そんな反応に驚きながらも、結果的には嬉しい悲鳴をあげていた。 後で知ったのだが、山形の人は「つや姫」をほとんど食べたことがないらしい。 もちろん基本的に“はえぬき”の米をもらって食べている。しかし“高級米”であるつや姫は、生産者も限られ希少な銘柄なので、地元人でも食べる機会が少ないのだそう。 この大ウケの経験を機に、ぼくらはハットトリック団子という名前を「つや姫団子」に

行ってみてもおもしろいかな、で入社を決意

MNH小澤です。 今回から、私がMNHに関わりだした頃、そしてそこから今に至るまで たくさんの経験と失敗をしてきたので、それを少しずつ、書いていこうと思います。 今あるMNHの姿、これから作られるMNHの姿は、 その過去があるからできているんだということを一度まとめておこうと思ったのです。 とにかくいろんな事をやってきました。 そしてたくさんの失敗もしてきました。 「MNHらしさ」を形作るモノは何なのか、そんなことを見直したり確認したりするためのエッセイです。 今思えば