書きたいことをせんぶ忘れる旅
この景色、この気持ち、文章にしたい……!
と、強く思うことが最近すごくある。ビビビと光る、きらめきを見つける。
これはnoteを書くようになってから変わったことのひとつ、だと思う。自分の気持ちを文章にすることを、文字にして残しておくとあとになって眺められることを、知ったからだと思う。
毎日を生きていくうえで強くなった。なんとなく生きてるなかで、すこしはなにかを考えて生きてることを、自分で栞をはさみながら眺めていくこと。漠然とした不安で生きるのをやめたくならなくて、生きていくうえでは強いことだ。いままでのわたしはこの気持ちたちを文章にせずに、どこに垂れ流して生きてきたのだろう。
とは思いつつも、noteのこの投稿画面に書き残せることが少なすぎるのが最近のお悩みだ。素敵な場所に出かけて、景色を見て、気持ちがぶわっとあふれだして、書きたいことはいくつもあったはずなのに、家に帰ってくると全部ぜんぶ忘れてしまっている。歌いながら帰宅して、片付けて、落ち着いてnoteの投稿画面を開くともうなにひとつ覚えていなくて硬直してしまう。そうしてこうやって、ぜんぶ忘れたことを書いている。なにやってんだろう。
そもそも出かけていなくても、家にいたってそうなることがある。なにかをしながらふと「これ、書きたい!」とビビビとやってきたひらめきは、スマホまでダッシュしてロックを解除するともう忘れている。Xを開いてタイムラインをいそいそとスクロールしながらふと思い出すのだ。「あれ、なんでスマホ開いたんだっけ」って。なにやってんだろう。
だれかのnote記事を読んでいてもこうなることがあって。おもしろい記事を読んでいると、むずむずと自分もnoteを書きたい欲が湧いてきて「書くぞ書くぞ~~」と気合十分で燃えたぎっているのに、その人の過去の記事を遡って読んだりなんなりして、ようやく自分のホーム画面に帰ってきて、投稿画面を開くともうその意欲はどこへやら。書きたいことも書く意欲もすべてを忘れて呆然とする。ただのネットサーフィンをしただけの時間。ほんとなにやってんだろう!
こうしてわたしは気持ちを書き残すことを覚えたものの、脳のキャパシティが追いついていないことからほとんどのことを忘れながら生きているのでした。人生はちょっとした忘れものをし続ける長い旅なのである。
ぜんぶ忘れているものの、そのなかでのきらりと光るなにかだけを覚えていて、それをここに書き残せていたらいいなあ、と思いながら生きている。まあきらりと光るものもな〜んにも覚えていないから、今日はこんなことを書いているのですが。