ちくりと刺された針を溶かす
ちくちく言葉が苦手だ。どんな事情があろうと、そんなふうに人のことをちくちく傷付けることは絶対にしてはいけない、と思う。
最近すこし、ちくちく言葉の針をこちらに向けられたことがあった。
わたしは在宅で働いている。そのことを知っている人から「ずっと家にいるからヒマそうで楽そう。時間があっていいね」と言われたのだった。
その言葉はけっこう鋭くて、わたしの心をちくりと刺した。
そりゃずっと家にいるけどさ。仕事してるけど用事がないと家から一歩も出ない日だってあるけどさ。たくさんドラマ観てるし、本読んでるし、こうやって仕事じゃないnoteを書いて投稿する時間はあるけどさ。わたしなりに仕事して家事して好きなことする時間とって、それはけっこうがんばって毎日生きてるからできてるんだけどなあ、なんて心のなかでぶつぶつ言った。
家でなにもしてないとしても、そもそも毎日生きてるだけで大変だし。自己管理して生きてるだけですごい、自己管理できてなくても、毎日ちゃんと生きようとしてるだけで大変で、他人がヒマそうで楽そうな暮らしなんて言っていい暮らしなんて本当はどこにもないと思う。自分で言うならまだしも。「いいね」って語尾につけたらなんでも言っていいと思わないでよ、なんてかなり飛躍して心のなかでぶつぶつ言った。
それくらい受け流せばいいのに、と自分でも思うけれど、その相手のことを大切だと思っているからこそ、ちくちく言葉で刺されたことが悲しかった。
わたしが低迷しているときに話を聞いてくれた人だし、一緒にいろんなところに行って楽しみを見つけてきた人だったから。でもその人は最近とてもつらそうで、きっとだれかにそうやって針を向けられる会話のなかにいるのだと思う。そのつらさをすこしだけ、わたしに向けてきたのだろう、と思う。
わかるけど、わかるから嫌いにはならないけど、やっぱりなんだかちくりと刺されたちいさなその針が抜けなくて、どうしても気になってしまった。
そんな話をたまたま電話していた母にした。こんなこと言われてちょっと気になったんだよね、とざっくりすぎる話をすると、母は「ヒマっていうか、時間の使い方が上手なだけなのにね」とさらりと早口で言って、すぐに別の話題(芸能ゴシップ)に移っていった。
なんだかその言葉で、わたしに刺さったちくちく言葉の針が、じんわりと溶けていったのを感じた。
わたしは自分でも、在宅ワークだからってひきこもりすぎかもなあ、と思うことはあった。なんだか後ろめたく思っていたからこそ、その言葉が刺さって抜けなくなっていたのだと思う。けれどそれは、だれかに恥ずべきことではないのかもしれない。
平日に買い物に出かけないのは、週末にまとめ買いしたものを作り置きしているからだし、いろんなコンテンツを摂取する時間があるのも、スマホにひとつもゲームアプリをいれていないからだし、家事をしながら耳で楽しむ工夫をしているからだし。こうやってnoteを書いているのも、お昼休憩にスマホ見てぼーっとするのをやめたからだし。そもそも在宅でできる仕事を選んでそんな生活を送れるようにしたのは自分の努力だし。それもこれも、せっかちで効率的なことばかり考えるわたしの、わたしなりの時間の使い方だ。
こうやって自分を見つめて肯定することができたから、刺さった針は溶けていったのだと思う。
ちくちく言葉で刺さった針は、ちいさなものだとしても、簡単に抜けないことがある。悲しいことだけれど、おおきな針が刺さったまま、その痛みに耐えながら暮らしている人もきっといる。
その針はなかなか抜けないかもしれないけれど、ちょっとした誰かの一言で、溶けてちいさくなることもある。抜けていないから完全になくなるものではないかもしれないけれど、溶けると痛みがちょっとだけ楽になる。
そんなちょっとした、あったかい言葉をだれかにかけたいし、そんな言葉をかけられたときに、いつだって気付いて針を溶かせる自分でいたい。そんなふうに思う、冬のはじまりの夜。母とのたわいもない長電話。