運動音痴がジムに行ってみた話 #3 はじめてのともだち編
@前回のあらすじ
体力がなく、運動もからきしな私・mmは、叔父の誘いを受けスポーツジムに通い始める。はじめは筋肉痛に苦しみ、鼻に入る水に苦しみ、何で休みの日まで痛い思いをするのかと息巻いていたが、それによる恩恵にも気づき始め、日々少しずつ通っている。今回は筋肉の話を綴る。
スポーツジムでは、至る所で筋肉を見かける。
「お願いマッスル★めっちゃモテたい」の歌詞よろしく、プログラムのポスターやマシンの説明文、あるいはすれ違う男性女性おじいちゃんおばあちゃんからも。
それまで筋肉といえば腹筋背筋大胸筋、上腕二頭筋くらいしか知らなかったが、通っているうちにだんだんわかるようになってきた。知らないことを知るのはいつだって楽しい。
通っていることが良かったのか、ちょっとずつ重たいものを動かせるようになってきた。マシンを触っていると、筋肉がグッと張っているのがわかる。
そういえば、パーソナルチェックを今一度やってみた。少しだけ筋肉量が増えていた。脂肪が減り、少し標準に近づいた数値を見て、私はとても嬉しかった。私の見えないところで、運動と何かがかけ合わさって、筋肉がもこもこ増えたのだ。筋肉を育てるべく、プロテインにこだわる人の気持ちがちょっとだけわかる気がする。
・・・
体というのは無数の筋肉があり、それらがうまく作用しあって、生活できたり生産できたりしている。足には足の筋肉があり、うまく上半身を支え、上半身は上半身で筋肉があり、仕事の動作を支えている。太ももひとつとっても、外腿と内腿がある。外腿は目安の重りを動かせるけれど、内腿はびくともしない。
私の中に筋肉はあり、ずっと動作を支えているのに、今こうして鍛えて痛いと感じなければ、私はこの筋肉の存在を知らなかったかもしれない。
何らか筋肉があることは分かっていても、何か怪我でもした時に「ここにはこういう筋肉がアリマシテネ、ここを損傷シテマスネ」と説明されて、ハァソウデスカとなっていたかもしれない。普段はなりを潜めているのか、本当は外の世界に出たいけど、色々なものが邪魔をしているのか。
私がデスクワークで云々悩んで動き回って、頭が疲れ切っている時も、肩は鞄を支えていたし、腰は曲がりっぱなしでも文句を言わなかった。手は吊り革を掴んで離さなかったし、足は家へと自転車を転がした。
日々体が痛いと文句を言っていたが、頭と同じく体だって悩んでいた。毎日必死で余裕がなかったけど、生存のために少ない仲間達でどうにかやっていた。体を大切にすることは自分を大切にするのとつながるんだと思った。俺らだって疲れたよと文句を言いたくなるであろう。
骨折したり突き指したり靭帯を切ったり、人の生活は怪我と隣り合わせである。仕事によっては、もっと大怪我の危険を感じながらやることだってある。だけども余程のことがない限り命までは取られない。骨はまたくっつけられるし、固定すればいずれ治っていく。
テレビをつければ凄さんなニュースが飛び交う。ネットをつければ著名人への誹謗中傷と暴力的な正義に対する反論、それらの諍いが絶えない。「死にたい」と嘆く人々が注目を集める。お気持ち表明がコンテンツになり消費される。そうなり得なかった人々が、声もあげないまま影で消えていく。
とかく苦しいことが多いけれど、私が思っているよりも、
人は簡単に死なないのかもしれない。と思った。少なくとも、私は。
その時は、これら仲間たちがその役目を終え、全て止まってしまう時だ。
それはとんでもないことだ。私の中の活動や文明も終わってしまうのだ。
でもいつかは訪れる。その時間は知らされていない。
だったらこれからは、もっと身を乗り出して、いろんなことに挑戦していきたいなぁ、と思った。私はただ生きているが、なんだかんだ自分と対岸にあった筋トレに手を出して、成長して誇らしげな顔をしている筋肉たちを知ってしまったから。
・・・
帰宅後、それにしてもと私は思った。
なかやまきんに君は凄いよなぁ・・・小さい頃からギャグを笑ってみていたけども、自分が鍛え始めるといかにすごいのかと思う。あの筋肉。一体何kgを持ち上げることが出来るのだろう。普段はどんなトレーニングをしているのだろう。あそこまでになったら、道を歩いていても自分+筋肉を連れ歩いているようなものだ。
洗面所で手洗いうがい消毒を済ませ、鏡に映った自分を見た。
・・・私だって、これでもちょっとは鍛えている人間である。
ここらでちょっとだけ、むきっとしてみようかな。左肩を前に突き出し、腕に力を入れた。
その時、ぷよっとして、まるで何もなかった二の腕が、ちょっとだけぼこっと盛り上がった。脇に向かって影がすっと伸び、触ってみると骨とは明らかに違う。筋の塊のような感触を覚えた。
鏡に映った上腕二頭筋は、私の顔を見て、やぁ。と笑った。
次回。初めてのヨガダンス「踊る阿呆」編。続く(かもしれない)。