なりたい大人
私にはなりたい大人の理想モデルがいる。
それはお父さんだ。
高卒だけど、地方の企業でなかなかのお偉いさんを務め、家ではお母さんを私たち子どもが引くほど溺愛してる。
もちろんダメところもあるがその部分に関しては、考えないことにする。(お父さんの年まで行くとそう簡単には改善できないので、そういうところもお父さんなのだと思った方が自分にとってもお父さんにとっても最善だ)
お父さんは、一言でいうと、気が利く
とことん気が利く
電車のチケットを頼むと、必ず車両の一番前の窓側だし、飛行機の座席も同じ値段の中で一番条件がいいところをとってくれる。
お菓子を買ってきてくれるときは、キノコの山ではなくタケノコの里だし(私はタケノコ派)、アイスはチョコでもバニラでもなくチョコチップ(私の一番好きな味)
何にも言わなくてもその時してほしいなと思うことをしてくれる。
これは私に対してだけではなく、会社の人やほかの人に対してもだ。
お父さんが今の会社であの地位にいれるのは、この気の利きようも一つの要因だろうとひそかに思っている。
しかし、お父さんにはそれ以上にすごいところが一つある。
それは、してほしくないことはしないこと。だ。
文章で書けば、簡単そうに見えるがこれは意外と難しい。
誰かの秘密を知ってしまったら、誰かに言いたくなるし
困ってる人を見つけたら、助けてあげたくなる。(本当に助けてほしいかも知らないのに)
嘘が嘘だとわかったら、真実を言いたくなるし、
しないでねと言われたことは、なんとなくやりたくなる。
これが人間だと思うし、私もこう思うことが多い。
でもお父さんは、こうしない
誰かの秘密を知っても、相手が知らないふりをしてほしそうだったら、知らないふりをするし、
困ってる人がいるとすると、まずその人のニーズをちゃんと読み取る。
これに関しては、ちゃんと読み取れるお父さんはすごい。そういう嗅覚みたいなものがあるんだろうと思う。
嘘は嘘で、相手がその嘘を信じてほしいんだったら、何にも言わず信じてあげるし、
しないでね、と言われたらしない。(まぁ、それがフリなら全力で、する)
意外と簡単なことでないかと思うかもしれないが、よく考えてみてみると
やはり難しい
自分の今までの行動を思い返してみても、やっぱり自分のやりたいことをしてしまう
高校一年生の時、高校でアメリカ研修の募集があった。
倍率はまぁ高くて3倍程度だったと思われるくらいのものだった。
わたしはそれに応募した。
口ではまぁ行けたらいいなぐらいのスタンスであると言ってたものの、内心は絶対に行きたかった。
し、いけると思っていた。
英検も取っていたし、成績も悪くなかったからだ。
でも、落ちた。
その時はなんで落ちたのか全く理解できず、ほんとに納得できなかった。
学校で行けないなら、個人で行ってやるという謎のプライドをもち、親にろくに相談することもなく、個人でアメリカに行くことを決めた。
民間のパンフレットを集め、これに行くから、という言葉だけ添えて。(お金も何もかも親が出すのに、いま思えばなんで失礼な子供なんだ。反省)
学内選考に落ちたのが悔しくて仕方ないのに、そうでもないフリをして、民間の方が安いからとか新しい環境の中での方がいいからとか、みるからに強がっていた。
そんなとき、その民間のツアーの説明会で、なんでアメリカに行きたいのか問われた。
正直、その時答えに詰まった。
学校の研修に行けないから
学内選考に落ちたから
こんなマイナスな理由しかなくて、急に恥ずかしくなった。
そんな時、お父さんが隣から
いやぁー、なんででしょうね?笑 海外にちょっと行ってみたくなったとか言う感じですかね。笑
と言った。
お父さんは確実に見抜いていた。
私が半ば強引にアメリカに行くことにした理由も、強がっていたことも、すごくすごく悔しくて悲しかったことも。
でも、そこでそれを言わず、うまくスルーしてくれた。
これには本当に救われた。
その時のことは、今日の朝何食べたか思い出せないような私でも、しっかり覚えている。
。。。。。。
今まで長々と書いてきたが、この記事を通して言いたいのは
私もお父さんのような
本当の意味で「気が利く」人間になりたい
ということである。
大切なひとをちゃんと大切にできる大人
相手の優先順位を一緒に守ってあげられるような大人
そんな大人になっていきたい。