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自分や他人との「距離感」の話


距離感について、今年はよく考えている。

自分からそれを望んだわけではなかった。3月末で仕事を退職してから、転職活動期間中はお金の余裕がなく、娯楽で埼玉の田舎から都内に出るのは躊躇われた(通勤定期で行けなくなったのも大きい)。そのため半ば強制的に友達と会わなくなった。転職活動期間というちょっとした人生の休暇の中で、せっかくだから自分のことをより深く見つめてみようという思いにもなり、私の意識はますます内にこもった。次第にそれに慣れてしまい、7月から働き始めても特に誰かと会いたいという強い気持ちは起こらなかった。

その代わり、今年は一期一会の出会いがとても多い年だった。
職探しの面接もそうだが、お金がなくて始めた日雇いバイトの経験を通して多くの人と出会った。工場で働いたりアパレル店員になったり、学生の時ぶりにカフェで働いたり、お金持ちが来そうな料亭やホテルで働いたりもした。仕事が決まればそれはそれで、新しい会社の人や他社の人など、いくつかの新しい出会いがあった。お気に入りのカフェや雑貨屋さん、美容院などが見つかり、それらのお店の人を知った。
9ヶ月を振り返ると、とても内弁慶な自分にとっては考えられないほどの沢山の出会いがあったなと思う。

その一方で、前からの友達との物理的距離ができ、自分との心理的距離が狭まった結果、前からの友達とは心理的距離も若干離れたように感じる。寂しい意味ではなく、自分にとってバランスのいい距離を取れるようになったという意味で。

別に、確固たる生き方が見つかったわけではない。
でも日常的に、自分は何が好きなのか、何が心地よいのかを考えていた。
何をしている時間が幸せなのか。その時間を今後の人生で増やすためにはどうするか。いつ、何ができるようになっていたらいいか。
今すぐ理想を達成できなくてもいい。雲に覆われて先が見えない山を歩いていたとしても、山頂があると分かれば山登りがいくらか気楽になるだろう。
自分にとっての心地よさを追求する中で、今まで耳のそばで響いていた、友達やSNSの声が小さくなっていくのを感じた。
異なる意見を言われても、「私はこう思う」とニュートラルに告げて、帰り道は自分や相手の言葉を頭の中で反芻することなしに読書や映画鑑賞に浸れるようになった。
自分も相手も変化していくのだから、たったその日のその時間に相手が何と言っていても、その場で忘れるくらいでよいのだ、と思う。

もっと言えば世間の価値観などすぐに変わるものだし(現代って特に流行りの移り変わりが激しいと思う)、変えられるものでもあるし、何より世間なんて実体があるようでないようなものなのだから、むやみに気にしなくていい気がする。SNSだってビジネスだし。
本当に怖いのは、自分の声を聞く時間を自分で作らないことだ、と思う。

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