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経歴に傷とか箔をつけようとする人について

人生初の転職活動が終わった。
「焦らない」をモットーにじっくりと選んできたが、歩んできた道を振り返ってみると「決まらない時は決まらないのに、決まる時は一瞬で決まった」という気がする。結婚した人が「周りに反対されたり、何となく間が悪くてうまくいかなかったり、そういう人とは縁がない。縁があれば、不思議とするするっと事が進む」と言うことがあるが、その感覚に似ているかもしれない。その代わり、変化が突然訪れるので、「早い!もうちょっと待って!先週はあんなに寝られたのに!」みたいなことになりがちで、気持ちの切り替えにエネルギーを使った。

決断が正しいのかなんて分からないし、正しいも正しくないも無いのだと思う。仮に正しいと決断できたとしても、それは自分の価値観で考えた「正しい」でしかない。100人が私の経歴を見たとして、全員が同じ意見を持つことはあり得ない。だから正しさというジャッジはしない。

一方で、こじつけで考えているだけかもしれないが、その時は変な決断したなぁと思うようなことでも、後から振り返って「そうか、この経験はこれに繋がっていたのか」とか「これをやっておいて命拾いした」と思うこともある。仕事に限らず何でも。そういう時は、過去の自分の決断に対してつい「正しい」というジャッジを下してしまいそうになる。でも、たまにはそれでいいのかな。自分に優しさを与えることも、生きるうえで必要だから。

こうして転職活動を振り返ると、私の場合はいろんなところを頼りにした。
転職エージェントは3〜4人利用させてもらったし、転職サイトは合計で10くらい使っていた。できるだけ自分で多くの機会を掴みたいと思っていたからだ。
転職エージェントの1人、この人は若めの女性だったが、彼女の言葉の中で不思議に感じたものが冒頭の言葉だ。
私の希望に合わせて求人を紹介してくれる中で、ある求人を私にオススメするための最後の一押しとして「この企業様は〜〜なので、ここで働いたことがあるっていうのは◯◯さん(私)の経歴に箔がつきますし、すごくおすすめです」と言った。
経歴に箔も何も、履歴書はただの紙切れでしかないし、転職サイトに打ち込んだ履歴書であればそれはPDFとかそういうものでしかない。紙やPDFに箔はつけられないよな。と、単純に思った。
もちろん比喩表現なのは分かっている。でも、それでも意味は分からない。
そういえば随分前、派遣で働いていた頃の派遣元の営業の人も同じような表現を使っていた。私が退職すると伝えた時、「今辞めて、もし次の仕事までにブランクが開いちゃったら、経歴に傷がついちゃうよ」
これも箔と似たような表現だろう。
でも待って。他人様の経歴に傷とか箔とか見出すって、もしそんな人がいるとしたら、そいつシンプルに嫌なやつじゃないか?
人の経歴見て、「これは傷だな〜」「この会社勤めてたのか〜箔あるな〜」って受け取る人。
例えばブランク期間があったとして、その間にその人が何をしていたのか、何を考えていたのかなどは考えもせずに。すごいところに勤めていたからといって、その人にとってそれが幸せなことだったのか、実際にどんな心持ちで働いていたのかなどは考えもせずに。そんなふうに他人を表面的に見る人、私だったら嫌だけどな。

傷とか箔とか考えるのも仕事だから。いつもは友達とかに対してそんなこと考えてないよ?客観的に見た方が圧倒的に仕事になるから。
例えばそんな反論があると思うけれど、仕事での考え方って多少、実生活にも影響してくるのではないかと考えてしまうのは穿った見方だろうか。最初はそういう人ではなかったとしても、仕事をしているうちにある考え方が染み付いてくることはないだろうか。
私は、客観的に書いてある情報は私が理想としている人間像にとって重視するべきものではないから、そういうので人を判断しなくていい仕事をしたいと思っているし実際にそうしている。

客観的に人を判断する仕事を続けられる人は、自分には無い考えを持っているということなので、むしろすごいと思う。人の価値観に対して、良い・良くないという判断を下すつもりはない。
でも、傷とか箔とかいう言葉で傷つく人がもしいるとしたら、経歴という「年月」や「経験」という概念にどうやって傷や箔をつけるんですか?という問いを心の中で唱える事によって平常心を取り戻してほしいと思う。
そう思ってこれを書いた。

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