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みんな一生迷うものかもしれない

高校進学、大学進学、就職、そういうルートの具体的な行き先が決まるたびに感じた、「道を真っ直ぐに歩けている」という安堵感。
でも、その「レールを歩く安堵感」を感じられるのは、同級生がある程度同じリズムで同じ歩幅を進んでいる、大学卒業くらいまでではないだろうか。
仕事というものを始めた先は、「こう行けばいいレール」なんて何もないのだ。
学校卒業、新卒入社、数年後に結婚、出産という道。
大学院に進み、その後就職という道。
大学院でそのまま研究を続けるという道。
仕事を転々とし、新しいことに挑戦し続ける道。
都会で仕事をしていたが、地元に戻るという道。
仕事をバリバリやって、子どもを育てるという選択はしない道。
パートナーやペットと一緒に暮らして、仕事は無理せずほどほどに、という道。
好きなことを仕事にするため、挑戦し続ける道。
そのほかにもたくさんあると思うが、そういう道の全てが、その人にとってのベストであるならば、それがその人だけの歩くべきレールで、唯一無二の人生に繋がっている。
そのベストに向かう過程で、人から見れば「何かを諦めた」とか「それは間違っている」というふうに感じる選択をしたとしても、その人にとってのベストであるならば、それでいい。それが、いい。
私はそれに気づかず、大人としてのレールはほんの2、3しか無いと思い込んでいた気がする。
自分にとっての答えに向かって歩くことこそが人生の醍醐味だったことに、改めて、いや初めて、気づき始めたような気がする。
誰かの人生を、成功だとか失敗だとか間違えているとか判断できるのは、その人の頭の中に成功や失敗や間違いのレールが明確にある人だ。そしてそのレールはその人の固定観念や価値観にすぎない。
私にとって私だけが全てで、成功や失敗は答えに向かって歩く人生のうちのイベントの一つにすぎない。
そういう価値観の軽やかさを持って、自分や他人の人生を見ていたい。
10代の頃の「こうしなきゃだめ」という気持ちが薄れた今、そんなことを思う。

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