止められない感情が夢なのだとしたら
お互いに10歳前後の頃から知っている、古くからの友達と会った。
会うのは数年ぶりだったので色んな話に花が咲いた。同じ中学だったのでその頃の話はもちろん、大学生の頃のこと、その後のことなど。
その子に「一生に一回は演技やりたいって、中学の頃言ってたよね」と言われた時、私の気持ちは10年前から変わっていなかったのだなと思った。
高校生の頃、周りの大人の顔色を伺って、正確に言えば他人の期待から外れるのが怖くて、勉強をしている時間が唯一「正しいことをしていると感じられる」時間だった。
そのため自分の感情を無視して勉強に励んだが、特に行きたい大学があるわけでもなかったため受験への情熱が不足していたのか、緊張しいで本番で実力を発揮できなかったのか、面白いくらいに受験は上手くいかなかった。
それを機に他人の期待を背負うことから吹っ切れて、「これからは自分の好きなことをしてやる。自分の人生について、自分で考えて、責任を持つんだ」という決意をした。
そして大学生の頃は、他人に言わないまま俳優事務所のオーディションに応募したり、演技のワークショップを受けに行ったり、演劇ができるサークルに入ったり、ショートフィルムの制作に少し携わったりと、自分の好きだったことに向かえる行動を取り始めた。自分はまずお芝居について一から学ばなければいけないと思い、養成所の体験レッスンにも行くようになり、その後養成所で1年間お芝居を勉強した。
周りの子はほぼ100%就職していく中で、私は就職活動をしなかった。
自分の気持ちを無視し続けた高校生活が私にとって人生で最も辛い期間だった。
だから、新卒という特権を失うことよりも、また自分の本当にやりたかっことを無視することの方が、自分にとっては恐怖だった。またあの辛さを味わうのは耐えられないと思った。
だから大学卒業後、小さな事務所に入らせてもらい、主にエキストラで現場に入りながらアルバイトをして生きていた。自分でお芝居のレッスンを探して通った。少しだけ、スタッフとして現場に入らせてもらったこともあった。役名のある役で作品に携わらせてもらったこともあった。
しかし、ふと周りを見た時、「一人暮らしをして、正社員で働いて、経済的に自立した大人」になれていないことに恥ずかしさを覚えた。
やりたいことだけはやれている。それだけでもう十分幸せかもしれない。だけど、周りと自分を比べる気持ちは消えなかった。自分だけが情けない存在のように思えた。
だから昨年、お芝居を続けることをやめて、事務職の派遣社員になった。
しかし今、私は転職活動をしている。
ここは面接の場ではないので正直に言うと、理由はあまりお金を稼げなかったから。
そして自分なりに自己分析をし、1ヶ月前から職種を絞って履歴書を出し面接を受け始めた。
1ヶ月しか経っていないのでまだまだ焦ることはないかもしれないが、派遣の契約上今月末で現職を退職するので、新しい仕事がなるべく早く決まればいいなと思っている。
でも、今日ふと自分の面接での発言を振り返った時に、「私、今決めてる職種で本当にいいのか?」と感じた。
面接で俳優を目指していた頃のことを聞かれることがあるが、我ながら、自分では「諦めた」と言うくせに随分熱を持って話すものだな、と。面接で落ちたところはもしかして、私がまた俳優を目指す道に戻るんじゃないかと感じたのでは?と思った。
そして実際、心の奥では「また何か仕事をしてお金を稼いで、貯金して、30くらいまでにまた俳優の道に進み直そう」と考えているのだ。
それに気づいた時、私が本当にやりたいことって中学の頃から一貫していて、しかも遊びや任意の参加などではなく本格的に携わりたいという気持ちが強いのだ、と思った。
もしかして、お芝居を活かすことのできるお仕事があったら、私は幸せなんじゃないか?
この、中学の頃からの止められない感情が、夢なのかも。
それに気づいて、今後の転職活動をまた一から見つめ直してみよう、と考えた。
私には既に、やりたいことがあったらしい。
その感情を最大限活かしながら、ご縁のあるところに行けたらいいな、と考えている。