哲学対話が好きな人
わたしはすぐ「人生とは」とか「幸せとは」とか「愛とは」とか「働くとは」とか、主語を大きくする傾向にある。
抽象的なことを考えることが好きだ。
これまで、色々と考えてしまう自分に対して、「難しく考えすぎだよ」と言われてきたような気がする。
まあ、ある人が見れば「ただの拗らせ」なのだろうし、また別の人が見れば「ただのめんどくさいやつ」なのかもしれない。
確かにそうかもね!笑
だけど、言わせてほしい。
難しく考えているのではなくて、複雑にしたいのではなくて、むしろ、わたしは簡単にするために考えているのだと感じるのだ。
だって、「幸せ」も「自信」も「愛」も「労働」も、難しくて大きすぎて手に負えなくて
でも、やっぱり「自分のもの」にしたいじゃないですか。
だから、手に負えないそれらを自分の両手に収まるくらいに小さく小さく分解したくて、考える。
本を読んでみたり、何かの経験のたびに振り返ってみたり、ぐるぐる考えている。
noteもその手段のひとつだ。
考えて考えて、ある時「ふーんなるほど」とそれで満足する。誰がどう思うかとか、世間的にどうかとかそういうことからは一歩離れて、ある時自分で納得するタイミングが訪れる。
ところで、こういった、ぐるぐる考える手段として、「誰かと話すこと」は最も有効だと感じる。
そう、哲学対話をするということです。
哲学対話とは何かを知らなかったのですが、最近よく聞くのでちょっとだけ調べてみたら、なるほど、わたしが好きなやつだと思いました。
哲学対話を嫌がらない人たちとは、ずっと仲がいい気がするし、それからとても深い仲になっているなと思う。
それは多分
同じ部活でなくなっても、別の学校に進んでも、住む場所が変わっても
自分の人生との共通点が少なくなっても、どんな時も「幸せ」や「自信」や「愛」は、共通の話題として、いつも誰の側にでも存在する項目だからであろう。
それに、やっぱり、対話は、人との関わりを非常に健全な状態で保ってくれる魔法みたいなものだなあと思う。
そんなわけで、哲学対話が好きな人、大切にしたいな。
おばあちゃんになっても仲良くできる!
華金ですね、今日もお疲れ様でした♩