人生を狂わされている(前言撤回)
この記事を書いた後、な〜んかもやもやしていて…
さっき、はっと気がついた
読書感想文を書かされているような気持ちになっていたから辛かったんだ!
「本の内容をコンテンツに、何か道徳的なことを書かなければいけない読書感想文」のように
「ピアノをコンテンツに、継続は力なりという教訓の意図することを書かなければならない」
と、勝手に、知らず知らずのうちに自分を縛って書いていたのだ、だから書き味が悪かったんだ〜
この記事は別に嘘を書いたわけではなく全て事実なのですが
ピアノをね、コンテンツにしちゃだめなのよ、役立たせようとか、自立や学びや手段に用いるのは違うのよ、そうそう違うの。
「ピアノを弾きたーーい😭🤍」のただそれだけで、狂ったようにピアノに触るのがいいのだ。その気持ちのそれ以上もそれ以下もない。ただ弾きたいの、弾くがゴール、それだけ!
わたしはね、小さい頃からもう、とにかくピアノが好きだったんだよなぁ〜人生狂わされているの。
もうね、ダメ男にひっかかった女と同じです。負ける時は負ける。惚れた者の負け。全面降伏。
あなたをもっと知りたい
あなたを自分のものにしたい
あなたと向き合いたい
これが幸せのはじまりか不幸のはじまりかは知りませんが、仕方ないじゃないですか、その恋を見過ごすことなんてできないわけですよ、自分に嘘なんて付けないですし。もう隠してられないんです。
何の話をしてるんですかね、わたしは。
つまりさ、幼い頃に、音楽にどうしようもなく心が動かされて全面降伏してしまったわたしは、もう、自分に嘘をついていられないから、誠心誠意愛するしかないわけですよね、ピアノを。ずっとずっと。
今も、スクリャービンの曲に大変に心を揺さぶられ恋をしてしまったからには、自分のものにしたい、と必死なわけです。
自分と釣り合っていないものを自分のものにしたいと願うことは大変わがままで現実が見えていない愚か者だとはわかっている、わかっているから辛い。
なぜ恋しちゃったんだ…と後悔…でも仕方ない、恋しちゃったんだから。片思いというのは、わがままでひとりよがりで愚かで辛くて当たり前なのだよ。
(だから何の話なんですか?)
小さい頃から今に至るまで、ピアノを辞めたいと思ったことなんてなかったけれど、一方で、「続けよう」「続けたい」と思うこともなかった、そんなこと、一度も考えたこともなかった。
自分と音楽の間には、そもそもそんな言葉は存在していなかったのでした。
とにかく
「え〜好きすぎるこの曲〜弾きたい〜😭🤍」
「は〜楽しいな〜😭🤍」
「もっと弾きたい〜😭🤍」
「もっと聴きたい〜😭🤍」
と、ただただその繰り返しで生活していたら、いつのまにか人生になっただけなのだった。
一度狂ったらおしまい。
てことで、「継続は力なり」なんてそんな、チープな教訓にピアノを利用するなんて、自分はなんて馬鹿なんだーー!!!!!!って悲しくなりました。
※もう一度書きますが、あの記事で書いたことは決して嘘ではなくて…本当に思っていること。
わたしが、「わたしなりの継続は力なり」を書ける日は、文章を書くこととか、仕事とか、はたまた運動とか、ピアノのように恋していないものを、20年以上続けた時かも。
今日もお疲れさまでした♩