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新入社員はいつまでレッテルを貼り続けるのか

4月、わたしの会社にも2人の新入社員がやってきました

自分と横並びだと「若い新顔」だけれど
彼女たちとはふた回りも違うなんて
言われないと認識すらできない差があると感じた

そんな彼女たちも
1ヶ月にわたる研修が終わった

研修最後は「自分の課題・会社の課題」と題し
粒ぞろいの社員の前で行った、持ち時間15分のプレゼンだった


「素晴らしかった」

荒削りで、未熟だけれど情熱的

社会の諦めも今までの歴史も知らない若者が
誰よりも新鮮な目線で会社のあるべき姿は、とぶった斬った

そこにいる全員が目の前の萌えるような情熱の前に
心をグッと掴まれて

「自分はこのままでいいはずがない」

と誰もが真に思った


震えるような驚きと若さの前に、ふと感じたこと

それは

彼女たちは「新入社員」のレッテルをいつまで貼られているのか


中小企業でも電話口の応対で
「○○会社 新入社員の△△です」と名乗らせることが多々ある

違和感しかないが
こちらも相当大人だから「かわいいものね、」と
多少の手際の悪さはそれのせいだと解釈してしまう

どこかの文豪が「いつまでもそう名乗らせるのは、間違ったアイデンティティを植え付ける上に、会社の信頼性を失うことになりかねない」と危惧していた

わたしは文豪じゃないから、そんなに大袈裟には語らないけれど

確かに「新入社員なら仕方ないよね」という甘えを
相手に押し付けるのは間違いだな、とは思う


答えはこうだ
=「すでに会社の看板を背負っている」

理由はこうだ
一つ、もう何もできない新人ではないこと
一つ、すでに頭角を表していて経験社員と同じ土俵で勝負できる

同じ土俵、ということはつまり
研修期間とされる「よいしょ」期間は終わったのだから
貸していた下駄は脱いで、ここからは自分の力で行きなさい

といっているのと同義だ

入って1ヶ月の20代前半の若者に
社歴15年の社員と肩を並べて行きなさい、
というのは厳しいかもしれない

けれど
研修最後のプレゼンを聴くかぎり
「厳しい」道を下駄なしで歩いているのは
他の社員たちも同様だと思った


さぁ ここからが本当の勝負だ

勝敗を決めるのは

誰でもない、『自分』だ

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