佐々木千隼、ベイスターズでも「ちはやぶる」投球を
NPBの今年の「現役ドラフト」で、千葉ロッテマリーンズに在籍していた佐々木千隼投手が、横浜DeNAベイスターズに移籍することになりました。
僕も、彼が都立日野高校のエースだった頃からその存在と活躍ぶりは知っていたのですが、佐々木千隼というピッチャーは、マリーンズファンからすると、非常に思い入れの強い選手の一人ではないかと思います。
12月8日の現役ドラフトの結果が発表された後、SNSでは佐々木の移籍を知ったマリーンズファンから落胆の声が多く上がっていました。
というのも、佐々木千隼は桜美林大学4年生の秋、2016年のドラフト会議で、5球団からはずれ1位指名の末、マリーンズに鳴り物入りで入団してから、ケガや不調の時期が長かったものの、それを乗り越え、2021年にリーグ優勝争いの立役者の一人となったからです。
佐々木千隼、2016年ドラフトで5球団競合で1位再指名の末、ロッテ入り
佐々木千隼は1994年6月8日、東京日野市生まれの29歳。
MLB/NPBには同世代の選手が中堅として活躍中です。
同世代のスーパースターといえば、大谷翔平を筆頭に、藤浪晋太郎、鈴木誠也というMLBプレイヤーや、2016年ドラフト同期の阪神・大山悠輔、中日・柳裕也、広島・矢崎拓也らのドラフト1位組、そして社会人野球経由ですが、阪神・近本光司も同級生です。
西武の山野辺翔は桜美林大学の同期です。
佐々木千隼自身は都立日野高校から桜美林大学を経て、2016年ドラフト会議で、創価大学の田中正義(ソフトバンク→日本ハム)を指名して抽選で外れたロッテ、DeNA、巨人、日本ハム、広島の5球団から1位再指名を受けて抽選の結果、ロッテが射止めました。
同級生の田中正義が6球団競合、明治大学の柳裕也(中日)が2球団競合で1位指名を受けていますが、大学生投手として佐々木はそれに次ぐか、ほぼ同等の評価といえます。
佐々木は当時、都立高校出身の選手としては初のドラフト1位指名、しかも、1位再指名で5球団が競合するという初物尽くしでした。
実はドラフト会議前は阪神が佐々木を高く評価し、1位で指名することも検討していたようですが、蓋を開けてみれば、白鷗大学のスラッガー、大山悠輔を指名したという、サプライズが起きたのでした。
余談ながら、もしこの時、ベイスターズが最初から佐々木を1位指名していたら、単独指名で獲得できていただけに、ドラフト指名の「巡り合わせ」という奇縁を感じざるをえません。
新人ながら開幕ローテーション入り、齋藤佑樹と投げ合い、大谷翔平を抑えてプロ初勝利
佐々木千隼はルーキーイヤーの2016年、新人ながらオープン戦で4試合、15回1/3を投げ、わずか1失点、防御率0.59と好調で開幕ローテーション6番手に入り、4月6日、ZOZOマリンスタジアムでの対日本ハム戦にプロ初登板・初先発のマウンドに上がり、568日ぶりの勝利を目指す日本ハムの先発・齋藤佑樹と投げ合いました。
2番・大谷翔平との”同級生"対決は初対決こそ四球を許しましたが、第2打席はセンターフライ、第3打席は空振り三振を奪い、5回1失点で齋藤に投げ勝ち、見事、初勝利で飾りました。
その後、制球難により一軍・二軍を行ったり来たりしましたが、9月13日の札幌ドームでの対日本ハム戦では、2か月ぶりに一軍の先発マウンドに上がると、8回まで無失点投球を続け、9回に横尾に一発を浴びて完封を逃したものの、プロ初完投勝利。
1年目は15試合に登板、うち14試合で先発して4勝7敗、防御率4.22という成績を残しました。
2年目のシーズンとなった2018年、シーズン途中で右ひじを手術、この年は一軍登板なしに終わりました。
2019年は7月9日の日本ハム戦で2年ぶりの一軍先発登板を果たし、7回5安打1失点と好投し、656日ぶりの勝利投手になるなど、一軍で登板した7試合のうち、6試合に先発して防御率2.53と、いよいよ来季は先発ローテーションで廻ってくれるか、という期待が高まりました。
ところが、2020年、新型コロナウイルスの感染拡大で、シーズン開幕が延期される中、佐々木は今度は右肩痛に悩まされ、リハビリに時間を費やし、一軍での登板は終盤、リリーフでわずか5試合にとどまったのです。
2021年、セットアッパーで大ブレイクも、V逸で涙
そして、佐々木はプロ入り5年目となる2021年のシーズンを迎え、大きな転機を迎えます。
投球フォームを力感にないものに変え、かつ投球の間合いも変えるなど、ストレートの球速は変わらないものの、打者からみると、差し込まれたり、タイミングを外されたりする投球スタイルに進化させたのです。
このモデルチェンジが功を奏し、この年、佐々木はセットアッパーとして、時にはクローザーとしてもフル回転しました。
チームがビハインドや同点の場面で佐々木がマウンドに上がると、直後にマリーンズ打線が逆転、勝ち越すという試合が相次ぎ、佐々木はリリーフながら開幕から負けなしの8連勝をマークしました。
マリーンズは佐々木の大車輪の活躍もあり、シーズン終盤までリーグ優勝争いに残っていましたが、結局、最後はチーム141試合目にして、残り3試合を3連勝すればリーグ優勝、という敵地・仙台での楽天戦で、佐々木がリードを守れず逆転負けを喫したことから、マリーンズは16年ぶりとなるリーグ優勝を逃しました。
試合後、グラウンドで佐々木は人目もはばからず顔を覆って、あふれる涙をこらえることができませんでした。
ですが、佐々木がこの年、登板した54試合で敗戦投手になったのはこの試合だけでした。
マリーンズファンからは佐々木を非難する声より、むしろ、よくここまで投げてくれたという声のほうがはるかに大きかったと記憶しています。
佐々木はチームではクローザーの益田直也に次ぐ54試合に登板し、8勝1敗、防御率1.26というキャリアハイの成績を残しました。
これで佐々木もチームの投手陣の主軸となるかと思われたのですが、翌2022年のシーズンは序盤に新型コロナウイルス陽性判定を受け、そこから調子が上がらず、一軍では23試合の登板にとどまり、防御率6.39と奮いませんでした。
2023年はシーズン前は先発転向の挑戦するという話もありましたが、開幕早々、二軍に降格となり、ファームでは無双というほどの結果を残せず。
シーズン終盤は二軍戦でようやく安定した投球となったものの、チームが一軍で投手不足に陥ってもなかなか声がかからず、一軍ではわずか2試合の登板に終わりました。
佐々木千隼は「セ・リーグ向き」、ベイスターズにもフィットする
佐々木千隼を取り巻くこうした現状から、嫌な予感はしていたのですが、先日の現役ドラフトでマリーンズから離れることになりました。
佐々木千隼の復活を望んでいたマリーンズファンは多かったと思います。
非常に忸怩たる思いはあります。
ですが、ベイスターズは2016年のドラフトで「はずれ1位」指名をしている球団の一つでもあるという縁もあり、今回も望まれて移籍するということに間違いありません。
佐々木千隼はストレートの平均球速は140キロに満たないレベルで三振を多く奪うタイプではありませんが、一発長打を食うタイプでもなく、どちらかといえばセ・リーグ向きの投手ではないかと思います。
近年のベイスターズは投手陣の層は厚かったものの、ケガによる離脱もあり、なかなか全員が揃わないこともあり、優勝にはあと一歩、二歩、届かない状況です。
しかも来季はエースの今永昇太が抜け、トレバー・バウワーの去就も不透明、長年、ブルペンを守ってきたエドウィン・エスコバーも退団する中、オフにソフトバンクを退団した森唯斗を獲得するなど、積極的な補強を仕掛けていました。
佐々木はリリーフの経験が多いですし、本人も入団会見で「リリーフで勝負したい」と言っていますが、もともとは先発投手として育成されていたこともあり、先発投手としての適性も十分にあると思います。
したがって、来季のベイスターズのチーム事情に合わせて、佐々木の起用の柔軟度は高いのではないかと考えます。
また、佐々木は実は学生時代は、バッティングも得意で、日野高校時代はエースながら5番・6番を打ち、高校通算では33本塁打を放っており、その後、大学4年生の秋の明治神宮野球大会では、神宮球場で投げては8回1死までノーヒットノーラン、打っては右中間スタンドにホームランと二刀流の活躍を見せたことがあります。
プロ入りしてからはパ・リーグで打席に立つ機会はルーキーイヤーに3打席ある以来、皆無ですが、セ・リーグで打席に立つ場面があれば、彼のバッティングにも注目していただきたいと思います。
神奈川、ベイスターズとの縁
佐々木千隼には、神奈川、そしてベイスターズにも浅からぬ縁があります。
12月11日に行われたベイスターズへの入団会見では、自身が1位再指名を受けた2016年のドラフト会議を振り返り、
というコメントを残しています。
これは単なるリップサービスではないと思われます。
佐々木は2013年に桜美林大学野球部に入部していますが、実は佐々木の恩師でもある日野高校野球部の嶋田雅之監督が桜美林高校野球部出身という縁もありました。
桜美林大学の野球部は、佐々木千隼と山野辺翔の加入と呼応するように強くなっていきました。
ちょうど、ジャイアンツのエースだった桑田真澄さんが特別コーチに就任しており、その後、2015年にベイスターズのエースだった野村弘樹さんが同大学の特別コーチに就任、そこで佐々木は桑田さん・野村さんの指導を直々に受けることができました。
佐々木は桜美林大学の野球部が首都大学リーグの一部に昇格した2年生からエース格になっていましたが、プロでも一流の成績を残した桑田さん・野村さんから技術面以外にもアドバイスを受けたことで、ピッチャーとして一皮剥けることができたはずです。
野村さんに指導を受けた時期にストレートの球速も上がったようです。
そして、佐々木が4年間、通った桜美林大学のキャンパスがあるのは東京都町田市ですが、神奈川県相模原市との境で、最寄り駅の淵野辺駅はJR横浜線沿線です。
首都大学野球リーグの試合は、相模原市にあるサーティーフォー相模原球場でもよく行われていました。
佐々木が桜美林大学4年の秋に、東海大・菅野智之(現巨人)と並ぶ首都大学野球リーグタイ記録となる53イニング連続無失点を達成し、そして桜美林大学は首都大学野球秋季リーグ戦で創部以来、初となる優勝を遂げましたが、その舞台は両方ともサーティフォー相模原球場でした。
佐々木にとって神奈川という土地はいい思い出も、親しみも馴染みもあるでしょう。
ハマスタでも「ちはやぶる」ピッチングを
最後になりますが、佐々木千隼は内に秘めた闘志を持ったピッチャーらしいピッチャーです。
プロに入ってからはあまり表立って喜怒哀楽を出さず、自己主張するタイプには見えませんが、日野高校野球部の頃から、チームの勝敗を一身に背負えるピッチャーでした。
桜美林大学野球部もエース佐々木の奮闘もあり、初の一部リーグ優勝に輝いています。
佐々木もチームの優勝に飢えていることでしょう。
背番号も「41」に決まり、心機一転、「ホーム」に還ってきたつもりで、ベイスターズの一員として活躍することを期待してやみません。
来季はハマスタで、佐々木千隼の登場曲、Perfumeの"Flash"が聞けるのを楽しみにしています。
この歌の歌詞にある「ちはやぶる」というのは、小倉百人一首にある、在原業平が詠んだ和歌である、
の一節からきています。
「ちはやぶる」とは「神」に懸かる枕詞で、「勢いのある、強暴な、荒々しい」という意味です。
佐々木千隼投手、勢いのある荒々しい「ちはやぶる」ピッチングで、ベイスターズファンを魅了してください。
これからも応援しています。
そしてベイスターズファンの皆さんは佐々木千隼を温かく迎えてくださると幸いです。
番外編 佐々木千隼、都立・日野高校の3年の夏
佐々木千隼は都立日野高校野球部の3年生の春からエースとなり、2012年の第94回全国高校野球選手権大会の西東京大会に臨んだ。
1回戦は清瀬高校と対戦し、佐々木は先発して7回を投げ、被安打2、11奪三振、無失点に抑え、打っても2安打2打点の活躍で、7-0の7回コールド勝ち。
2回戦は井草高校との対戦で、佐々木は先発して4回まで被安打3、無失点に抑えると、点差が離れたこともあり、降板したが、5番打者として2安打1打点と貢献し、10-1でまたも7回コールド勝ちを収め、順調に勝ち上がった。
3回戦・早稲田実業と延長13回の「死闘」、221球の熱投
そして、迎えた7月15日、3回戦、八王子市民球場で早稲田実業高校と対戦。
早稲田実業は前年2011年夏、あと1歩で甲子園行きを逃したが、西東京大会で準優勝を果たしており、甲子園には春夏通算42度出場経験のある古豪である(2023年現在は45度)。
佐々木は早稲田実業のエース・八木健太郎(早稲田大学ートヨタ自動車)と投げ合いになった。
佐々木は早実打線に1回裏、1番・八木のヒットと2番・江間に四球で無死一、二塁のピンチを招くと、続く3番・佐藤の投手前のバントを一塁への悪送球で先制を許し、なおも4番・鈴木に四球を与えて無死満塁。
ここで、5番・熊田を投手ゴロ併殺打に打ち取り、後続も断ってなんとか1失点で切り抜けた。
日野は2回表、すぐさま2番・工藤のタイムリー安打で同点に追いつく。
佐々木は3回裏に、早実5番・熊田にソロホームランを打たれ、2点目を奪われたが、日野もその裏、6番・川島のタイムリー二塁打で同点。
お互いが取られたら取り返すシーソーゲームとなった。
日野打線は5回に、早実2番手・二山から3番・柴田がソロホームランを放って勝ち越し、3-2。この試合、日野が初めてリードを奪った。
佐々木は制球を乱し、四球を多く出したが、4回以降は粘り強く抑えて早実にホームを踏ませず。八木も一度、マウンドを譲り、センターの守備位置についていたが、6回表から再び登板、日野に得点を許さない。
試合は日野が9回表まで3-2とリードして、9回裏へ。
しかし、ここから早実が佐々木を攻め立て、犠牲フライで1点を奪い、3-3の同点になり試合は延長戦に。
そして、佐々木は延長11回裏、早実の4番・鈴木にヒット、5番・熊田にも連続ヒットを浴びると、6番・山城には四球。無死満塁という絶体絶命のピンチを迎えてしまう。
日野の3年生捕手・田中宏征がマウンドの佐々木に駆け寄った。
「楽しんでいこう」
「おう」
佐々木の表情には笑顔が浮かんでいた。
まず、佐々木は7番・山岡に対し、いい当たりのセンターライナーに打ち取り1死。
早実の三塁走者・鈴木が思わず飛び出しており、慌てて帰塁、日野のセンターが前進守備を敷いていたため、ホームには還れず、1死満塁。
続いて、佐々木は8番・高木啓から三振を奪い、2死満塁。
9番・岡には最後はフルカウントまで粘られ、押し出しでもサヨナラ負けというピンチに。しかし、この場面でも佐々木は笑顔だった。
佐々木は岡をショートゴロに斬ってとり、なんとか無失点で切り抜けた。
破顔一笑、ガッツポーズでベンチに還った。
そして、迎えた延長13回表、日野は先頭の6番・川島がファースト強襲ヒット。
続く7番の大瀬の打席で、早実の八木が痛恨のボーク。
労せず無死二塁となった後、大瀬が送りバントを決め、1死三塁のチャンスをつくり、
8番の平野が四球を選ぶと、9番・捕手の田中宏征の打席で、平野がすかさず二塁へ盗塁を決め、1死二、三塁とチャンスが広がる。
田中はこの試合、ノーヒットだったが、日野のベンチにいる嶋田雅之監督からスクイズのサインはなかった。
田中はカウント0-1の後の2球目を叩くと、フライとなってセンターへ。
三塁走者・川島がホームに滑り込み、日野が犠牲フライでついに1点を勝ち越した。
佐々木をずっとリードしてきた田中が、佐々木のピッチングに応えたのだった。
その裏、佐々木は再び、2死二塁のピンチを迎えたが、最後の打者をファーストゴロに打ち取ると、佐々木がファーストに走り込んでベースを踏み、ゲームセット。
佐々木は13回を投げぬき、221球、被安打8、与えた四死球は14個。
それでも3失点に抑える粘りの投球だった。
早稲田実業のエース八木も一度、マウンドを降りたが6回表から再登板し、11イニングで180球。
日野の残塁12に対し、早実は19残塁と佐々木の粘りの投球の前に屈した。
試合時間3時間37分は西東京大会の最長記録となった。
試合後、佐々木はこう語った。
「(延長)15回まで行ってやろうと思っていた。(早実を破って)金星?甲子園のことしか考えていないので」
4回戦で日大鶴ケ丘では中2日で完投、先制タイムリー二塁打とダメ押しホームラン
3日後の7月18日に神宮球場で行われた4回戦では第1シードの日大鶴ケ丘高校と対戦。
佐々木は中2日で先発し、日大鶴ケ丘のエース、プロ注目の大高光(のちに日本大学に進学)と投げ合った。
佐々木は打っても5番打者として、1回2死一、二塁のチャンスで、大高のカーブをとらえ左中間を破る先制のタイムリー二塁打を放ち、日野打線は大高を3回途中で4失点ノックアウト、さらに、佐々木は8回にはレフトスタンド席中段に放り込む特大の高校通算33号を放った。
佐々木は投げては9回、124球、被安打9を浴びながら、4失点完投。
勝利の瞬間、佐々木は雄たけびを上げながら、両手を広げてマウンドで飛び上がった。
日野が8-4で日大鶴ケ丘に勝利し、夏の西東京大会で2009年以来となるベスト8入りを果たした。
ベスト4を懸けた準々決勝・日大三高戦、粘りの投球を見せるも
7月22日の準々決勝は日大三高と対戦。
小倉全由監督率いる日大三高は前年2011年夏にも西東京代表として甲子園に出場している。日野は2009年の準決勝、2011年の4回戦で日大三高と対戦しており、いずれも敗れていた。
佐々木は4回戦の日大鶴ケ丘戦の試合後に、
「甲子園に行けなきゃ意味がない。(日大三高には)3度目の正直で絶対に勝つ。
自信はあります」
と意気込んでいた。
だが、佐々木は中3日で先発したが初回、日大三高打線につかまりいきなり3点を失った。
その後も、佐々木は9回を一人で投げぬいたが、被安打6、登板過多の影響か8四球と乱調であった。
一方、日野は日大三高のエース、齋藤風多の前に日大三高を上回る8安打を放ちながら要所を抑えられ、あと一本が出ず、0-3で敗れた。
日野は都立高校野球部として国立(1980年夏)、城東(1999年夏、2001年夏)、雪谷(2003年夏)に続く4校目となる夏の甲子園大会出場を逃した(その後、2014年夏に小山台高校が都立高校4校目となる出場)。
だが、日野のベスト8入りは、エース佐々木千隼のピッチングが中央球界でも知られるきっかけとなった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?