議論は終わるべきでない②~森喜朗会長の発言について~
第1弾の続きです。
だんだん森会長の発言問題から逸れてジェンダー問題の話をしてますが、最後まで読んでもらえると嬉しいです。-----------------------------------------------------------------------------
発言は「女性蔑視」なのか?
森会長の発言は「女性蔑視」発言と報道されている。
私は、森会長の発言は「女性蔑視」発言ではなく、「女性差別」発言だと感じた。
蔑む」という言葉には、
他人を、自分より能力・人格の劣るもの、価値の低いものとみなす。見下げる。見くだす。 –goo辞書『さげす・む【蔑む/×貶む】』
という意味がある。確かに森会長の発言は、女性を明らかに見下している女性蔑視だ。
でも、「蔑視」という言葉を使うことで、今回の一時的な蔑視の言動のみに焦点が当てられ、長く続く根深い日本の社会的な差別構造から焦点がずれてしまう気がする。そして「蔑視」という言葉を使うことで、蔑視の言動の主体者である森会長に焦点が当てられるようになるような感覚もある。確かに彼が会長として適任かという議論も重要なのだが、(先日友人とこの件を話した時に2人で思ったのは)より重要だと思うのは、社会の差別構造に焦点を当て、ジェンダー問題解決のために長期的な議論を続けていく事では。
メディアで森会長の過去の発言等に焦点が当てられ報道されているのを見ると、今回の問題がジェンダー差別構造の問題からだんだんと分離していってしまう気がしてならない。ここでメディアをはじめとして社会全体での議論が減速してしまっては、また同様の問題が繰り返されるのでは、と懸念が拭えないのである。
だからこそ、私は「女性差別」発言という言葉で今回の発言を形容したい。
議論は終わるべきでない
森会長の「謝罪」会見を受けて(あの会見は「謝罪」会見と呼べるか否かはここではおいておきます)、IOCは取材に対して「この問題は終わったと考えている」とコメントしていた。しかし9日にIOCは声明を発表し、「完全に不適切である」と森会長の発言を非難した。
菅首相はIOCの最初のコメントに対し、「IOCが森会長の謝罪でこの問題は終了したと考えている、と表明されたと承知している」と発言した。森会長の発言を「女性蔑視」発言として認識し、その背景にある社会的な差別構造に目を向けなければ、この問題はオリンピックという一時的なイベントと結びつけられて、しばらくすれば忘れられてしまうのかもしれない。
しかし、一時の議論のみではジェンダー問題は解決に向かわない。だから、今回の問題は、オリンピックという事象を超越して、日本のジェンダー問題の顕在化として捉えていく必要が多くあると思う。
オリンピックと結びつけられることにより、この問題は森会長の進退や、彼の会長としての適正度に議論の中心がシフトしてしまう。そして実際にそうである。
発言を「女性差別」問題と形容し、オリンピックから分離させ、ジェンダー問題として再定義することが必要ではないだろうか。
議論はまだ終わってない。まだ終わるべきでない。
非難の中にある差別
私が森会長の会見動画をYouTubeで観ていた時に疑問に思ったことがあった。それは動画のコメントに溢れるヘイトの声である。
中でも特に私が疑問視したのは、「老害」とか「老人はやめろ」というような声である。これって年齢差別ではないか、とふと思ったのだ
確かに時代によってジェンダーに関する考えは変化し、以前は現在問題となっていることが社会の大部分で問題視されていなかった。その時代に生きてきたからジェンダー平等に関する知識や考えが浅いのかもしれない。だからと言って、すべての83歳の男性が森会長と同様の価値観を持っているとは限らない。今ここで問題なのは、彼の83歳という年齢よりも彼のジェンダー問題を全く考えない差別発言とその考えである。
今必要なのは、「非難」から「批判」への転換で、より建設的な方向に向かっていくことではないだろうか。新たな差別を生んでしまっては本末転倒ではないだろうか。
国益としてのジェンダー平等
ここからは日本のジェンダー問題に関して、普段考えていることを書きます!
ジェンダー問題の議論で耳にするのは、日本は先進国の中でも遅れている、だからもっとジェンダー平等実現に向けて取り組まなければならない。という言説である。
そうだ、実際に日本社会はジェンダー平等とは大きくかけ離れている。それはジェンダーギャップ指数で121位のところからも見てとれる。
でも、そのやりかた、考え方でいいの?と思う。
日本が「本当の先進国」になるための手段としてジェンダー問題に取り組むのだとしたら、なぜジェンダー問題解決が必要なのか、その真髄が理解されないままになっていくような気がする。短期的に見たらジェンダー平等の方向に向かっていくかもしれない。しかし、それは長期的なの?
みんながやっているから私たちもやろう。みんなに遅れたくないから私たちもやろう。
でも、なんで取り組む必要があるのかわかってる?今どんな問題があって、その問題が何を引き起こしてるか本当にわかってる?
なぜジェンダー問題に取り組まなければいけないか。
それは、差別を生んでいるから。特定のジェンダーや性別の人が生きづらい社会はおかしいから。特定のジェンダーや性別の人が、他のジェンダー・性別の人々を踏み台にして、踏み台にしていることにも気づかずに、見えない特権を振りかざしているのはおかしいから。それを「ふつう」としてしまっている社会はおかしいから。それは個人の人権が平等に扱われていないということだから。
ジェンダー平等は、国益のためのプロジェクトではなく、社会に暮らす人々のためにあるのだから。
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