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これだから介護は辞められない

最近、仕事を休職しようかずっと悩んでいた。仕事が嫌だとか、そういうわけでもなく、抑うつの症状に波があり酷い時は体に力が入らず動けなくなってしまう。一人でいると訳もわからず涙が出る。苦しいとか、悲しいとか、もうよく分からない。ただ、誰を信じていいか分からず、親にも言えず、ひとり、通院して薬をもらっている。こうやって、今の自分を曝け出せるのはnoteだけなのだ。

時々、この人には話してもいいかもしれない、と思う時がある。けれど、信じた結果、他の人に言われたり、又は否定的な意見を言われたり、そう感じたりして幾度となく裏切られてきた、そう感じてしまう出来事が多かった。

一昨日の夜勤も身体が思うように動かなかった。朝方、車椅子を片手で押しながら、今にもベッドから落ちそうな利用者をスマホで確認しながら急いで向かった。いつもの事なのに、急がないといけないのに足が思うように動かず、自分の足に自分の足が絡まり転んだ。そんな自分に呆れながら、ため息をついた。利用者の元へと向かうと、やはりもう既にベッドから転落していた。まぁ、もう仕方が無い。
そして、その隣で寝ている利用者がむくっと起きてきて、「土砂降りだね〜」と。
私の脳内がハテナで埋まる頃、部屋に充満しているある匂いに気がつく。室内なのに、そして窓の外を見ても雨なんて降っていないのに「土砂降りだね〜」と訳のわからないことを言っている利用者。まさか、と思い、その利用者のベッドをしっかり見ると、まぁ見事に土砂降りだった。笑
でもその利用者はすごく穏やかで、「あんたは濡れてないかい?」なんて私の心配をしてくるのだ。その利用者は本気で土砂降りだと思っている。そして本気で私の心配をしてくれている。心配してくれているからか、眉はへの字になっているし、なんかもう可愛くて面白くて力が抜けた。さっきまで余裕がなかったのに、その利用者さんの言っていることと、表情があまりにも愛おしくて、一瞬にして力が抜けていった。私が笑うと、そのおばあちゃんも笑っていた。こんなおばあちゃんになりたいなぁと思った出来事だった。

その利用者さんには何度も癒しをもらっている。糸魚川出身の方で、糸魚川弁がとても愛らしい。性格も穏やかで、相当とぼけたことを毎回言っているのだけれど、それすらも可愛いのだ。人として愛されるってこういうことだなぁと思う。

この間なんて、夜中に起きてきては、「これから踊りに行く」と言っていた。私が夜中に踊りはやってませんよと伝えると、「夜中だから踊るんさ〜、朝まで踊るんさ〜」と随分ご機嫌で、私は「踊るなら明日の朝一緒に踊りましょう、朝迎えに行くので」と伝えた。そしたら、私の迎えを楽しみに寝ると言ってくれた。なんで可愛い認知症なんだろう。
認知症にも色んな種類があるけれど、こんなにかわいい歳の取り方を私もしてみたい。

大変でしんどい時も、こういう癒しを提供してくれる利用者さん。朝起こしに行って、いくら土砂降りだったとしても、とぼけてても可愛いなんて思ってしまうほど、その人の人間性が好きだなぁと思う。土砂降りだったら着替えればいいし、一緒にトイレに行けばいい。シーツだって全部替えるし、そんなの全く苦では無い。夜勤明け、疲れていても、そう思えるのは、その人の人柄だなぁと思う。

認知症になり、人格が変わってしまう方もいるし、全員の全てを受け止めることは私にも難しいしできていないと思う。けれど、受け止めたい、尊重したい。何かされたとしてもその行動の理由を知ろうとする。介護にこれからも携わっていきたいと思うからこそ、そういう気持ちはずっと持っていたい。

少し休みたいなんて思ったりもしたけれど、やっぱり私は、「土砂降りだ」なんて聞いたこともない愛おしすぎる表現をする利用者さんをほっとけないし、夜中に踊りに行こうとするのもとても心配だ。

人間はみんな歳をとると、色んなことから解放されて、若い時よりも素敵になり可愛くなるそんな気がしている。オーラが柔らかくなる、みたいな感じ。もちろんそうではない方もたくさんみてきた。蹴られたり殴られたり、腕にたくさんのあざを作り半袖が着られない夏があった程、酷いことをされたことも山ほどある。けれど、それでも、認知症もお年寄りも人として大切にしたいし、大好きだ。これからも生活する上での色んなことを私に手伝わせてほしい。そして、私にだから遠慮なく何でも頼めたり、手伝ってほしいと利用者さんに思ってもらいたい。そうなることが介護士としての目標だ。

利用者さんの人生のほとんどを知らないわけで、その人生の最後の方に少しだけ関わらせていただけている、そんな仕事で。だから、少しでもその利用者さんに、いい最期だったと思ってもらえるように、穏やかに過ごせるように、できる限り優しく居たい。

認知症でも、訳がわからなくなっても、食べてはいけないものを食べるようになってしまったとしても。何をされた、何をした、という出来事は認知症になればどんどん忘れていくし、違うものに変換されていってしまう。けれど、「嫌だった」「嬉しかった」そういう感情は最後まで残るんだと、認知棟で働き始めた時に1番最初に教わりました。だから、できる限り嫌な感情を与えないように、気をつけて仕事をしているつもりです。

ここまで、考えて、言葉にしてみて、こんなに好きな仕事なんだな、と気付かされました。いくら嫌なことをされても、結局ここに戻ってくる。これだから介護は辞められない。

大好きな仕事、大切な仕事。
色々な仕事がある中でも、介護を選んでくれる人がこれから少しでも増えるといいなと願って、書きました。これからも介護士が利用者さんに対して優しく在れるためにも、人手が必要なのだと私は思います。

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