終活ブームに潜む危険・お墓の前で行う法要 お墓編その38
墓前法要は必要なもの?
さて、何故か大した信仰心もないのに葬儀は仏式で行われる方が大半かと思います。
かくいう筆者もその一人です。
今は菩提寺との関係も薄れ、それほど宗旨宗派に拘る方も少なくなった印象です。
それでも、葬儀はどうしても延期出来ないものなので何となく仏式で葬儀を行うのでしょう。
その流れで、お墓を購入すると石材店から宗旨宗派に沿ったお墓を作りましょうと提案されることもあるでしょう。
殆ど、使われない塔婆立てをつけてみたり、正面文字をお題目(旧来の和型墓石に多い単価が高い)にしてみたりとあの手この手で単価のアップを図ろうとします。
しかし、果たしてそこまで宗旨宗派に拘る必要があるでしょうか?
葬儀は、なんとなくうちは何々宗だからその形式でやったけど、日ごろお題目を唱えているわけでもない。
ならば、お墓にもそのような拘りを持つ必要は無いでしょう。
わざわざ、お寺以外にお墓を求めたのは何のためでしたか?
負担の多い檀家付き合い等々から離れたい解放されたいではなかったでしょうか?
なんで、それほど信仰も無い宗派に拘るのでしょうか?
墓前法要も必須ではありません。
納骨だけの依頼も霊園で可能です。
それだけでも、費用を抑えることができます。
葬儀で死者を弔ったなら、わざわざ納骨でやる必要はないと筆者は思います。
しかも、実態は霊園と提携している僧侶が派遣されてバイト感覚できているだけです。
民間霊園によっては、経営主体のご住職が墓前法要なされている場合もありますが、宗派が違う場合は依頼できません。
宗教観はひとそれぞれですので、必ずしも何が良いかは判りません。
ただ言えることは、費用がかかるということです。
ついつい、一周忌、100日法要を兼ねて墓前法要まで依頼してしまうパターンです。
ただですら昨今葬儀のコンパクト化がなされてるなか、冷静になって墓前での法要まで必要か?と考えてみてください。
いつもの一言。
「お墓を生前に買うなら、生きてるうちに思い出をつくりましょう。」
大切な人との時間は「お墓」を買っても得られません。