雑記
死にたいというよりは生きていたくない。明確なときは覚えていないが、小学校高学年のあたりから生きていたくないという感情を常に抱いていたように思う。
ODをして外出や仕事に行ったこともあったがODがバレることもなく倒れることもなかった。
メンヘラ芸と思われるかもしれないがODをして街に出るときはここで倒れれば、運ばれれば、生きていたくないという気持ちを他人に理解してもらえるのではないかという希望だった。生きていたくないという言葉に希望という単語は不釣り合いかもしれないけれど。
ずっと「普通」になりたかった。部屋を片付けられず親にもたくさん怒られた。ゴミを置くために家賃を払っているのではないという言葉が今でも鮮明に残っている。
20代後半になりADHDの診断を受けたときは少し気持ちが楽になったのを覚えている。同時に「普通」への諦めもついたように思う。
それでも障害をすべての人に告白しているわけではない。親は察しているようだが一人暮らしをしてから
これ以降何を書こうと思ったのか覚えていない。上記の文章は2019年2月のメモだった。
わたしは今海を見に鎌倉の七里ヶ浜に来ている。
死にたくなる、もとい生きていきたくなさが極まるとといつも海を見たくなる。
わたしは短大の卒業論文で太宰治を題材に書いた。太宰治は入水自殺をしてこの世を去った。死にたくなるとみな海に生きたくなるものなのだろうか。
先ほど持って来ていたデパス27Tをビールで流し込んだ。前述に書いた通りわたしは幾度となくODをして街に繰り出しているがいつも無事家に帰って、寝て、そしてまた仕事に行っている。
きっと今日も眠たくなるだけで終わるだろう。
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