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生きがい

 偶然に(必然的な流れで)出会った動画サイト「英語コーチ-イングリッシュおさる」に衝撃を受けて、授業で紹介した。英語をできるようにしたい人はぜひ参考にしてほしい。因みに、私は大学1年生のときにNHK番組に出演する大西教授の講義を受け、英語に興味が湧く。今まで思い描いていた英語のイメージが覆されると同時に、あのような授業をしてみたいと思い、今に至る。おさるさんはその教授の著書などで学習して、根幹が似ている。そこに共鳴した。熱冷めやらぬ前に、英単語を覚えてみようと勇み立つ。すぐさま英語研究室に足を運び、単語帳『DataBase4500』を借りる。そもそも、なぜ今、数学の教員なのに英語を勉強するのか。それは、高校生のときに英単語を覚えようとしなかったことが受験失敗の原因であることを理解したからだ。だから、当時の自信を取り戻すため、否、今の自分の士気を鼓舞するために、挑戦を決意。さらに、“無能な人の英語学習法TOP5”で思い当たる節が多々あり、即行動に移る。(なお、この動画で語られていることは数学でも全く同じことがいえる。)
 このサイトで驚愕だったのは“エビングハウスの忘却曲線”についてである。私は理系の割合に解釈を間違えていた。人間は忘れる動物であり、日数によって忘れる度量を示すグラフだと思い込んでいた。とんでもない勘違い。実際は、記憶に費やす力の“節約度”を表している。つまり、日数が短いほど、効率よく覚えられ、持続することを実証したものである。だから、短期間でどんどん繰り返すことが大切だと分かったので、身をもって体感したい。改め、なぜやるのか。英語の点数が最下位に近いくらいの私が実践できたら、自信をもって皆さんにお勧めできる。
 言語学者のスティーブン・クラッシェン教授は、言語習得にとって大事なのは“理解可能なインプット(Comprehensible Input)”であると述べる。つまり、「思えたら聴こえる」である。兎に角、単語の意味をしっかり理解して覚える。これは勉強に限らず、どの分野でも同じだ。理解してもいないのに、繰り返すことには価値がない。間違えたまま覚えるだけだ。好きなことは長続きする。でも、勉強の場合はなぜか好きになってから始めようとする。これは違う。やっていることを好きになるのだ。これはどんなことでも同じ。チョコレートが美味しいかどうかは、食べてみないと分からない。言い訳して「やらないこと、できないこと」を正当化するのではなく、まずはとことんやってみようではないか。
 最後に、皆さんにとっての「生きがい」とは何だろうか。「生きる意味」と置き換えてもいい。自己対話してみよう。若松英輔著『「生きがい」に出会うために』を読んで思うのは、生きがいとは「自己や他者、あるいは時代を隔てた人類に対し、いのちを燃え立たせる内なる炎」のようなものであると感じた。内なる感性を整えたりすることで、幸せと感じるアンテナは高くなる。皆さん含め私も、そういうものに出逢う旅をしているともいえよう。英単語を覚えようとすることも内なる炎を燃え立たせる行動の一種だと捉えているし、この仕事を含めて、内なる部分を表現するために言葉を紡ぐことなどで何かを伝えようとすることは私にとって紛れもなく「生きがい」である。

♬M.M. の「哲学対話P4S」コーナー♬

第6回<“私”にとっての幸せ、不幸せとは何か。>
 前号では、通念的に哲学対話しました。なかなか深い問いなので、今号も引き続き自分と対話してみます。まずは、私にとっての幸せだなと思う場面を思いつく限り列挙します。(因みに、とある授業で幸せなことについて話題になっている声が聞こえてきました…。さて、皆さんはどうですか。)
 1朝、目が覚める。2カーテンを開けたときに朝日を浴びる。3食事を頂く。4合掌し南無阿弥陀仏と唱える。5挨拶をする。6朝焼けや夕焼けで様々な色合いを見る。7虹を見る。8夜空を見上げ、輝く星や月を眺める。9音楽を聴く(特にKPOPの曲・ダンスが好みだが、心地よいものであれば何でもいい)。10新しい物、知識に出逢う。11静謐な空間で何もせず佇む(防音室ではない)。12娘・妻と同じ時間を過ごす。13娘に役者的に読み聞かせをする。14娘に勉強を教える。15美味しい珈琲を淹れる。16一人旅に出る。17家族と旅行に行く。18書店に行く。19買い物に行く。20人より早く歩く。21新しいことに挑戦する。22温かい布団でヌクヌク眠る。23食べ物の香りを自然と嗅ぐ。24一期一会というご縁で皆さんと出会える。25授業で数学を教える。26通信を執筆し、流れが少しでも生み出せる。27数学(大学入試レベルが程よい)の問題を解く。28自分なりの新しい解釈ができる。29授業で皆さんと対話ができる。30読書会で様々な人と繋がる。31本を読む(ジャンルに拘らず、本からのオーラを感じて手に取る)。32電車に乗る。33スポーツをする。34お菓子、アイスを食べる。35お茶・珈琲を嗜む。36お風呂に入る、温泉に浸かる。37一眼レフで写真を撮る。38掃除をする(身の回りを綺麗にする)。39海をボーっと眺める。40空をボーっと眺める。41自分を観察する、自己対話する。42人を観察する、癖を見る、エネルギーを察知する。43妄想する。44滝や川の流れを見る。45自然界の音を聴く。46鏡で微笑む。47言葉を紡ぐ(通信、note、ブログなど)。48五感・霊性を通して、事物を感じる。49健康体でいる。50生きている!
 これらは勿論、拙いながらも事の端として言葉にできたものだけです。ようするに、何に対しても自分に起こっているものでは幸せに感じることが多くなりましたね。だから、非二元論的に言うならば、不幸せだなと思うことは殆どないです。当然、私も人間なのでイライラしたりすることはありますが、それを不幸せなことだとは認識していません。事実としてあるがままにすべて受け入れ、放置するのではなく、反面教師として私はそうならないように心がけようとしています。難しいですが。
 神谷美恵子さん著『生きがいについて』の一節に、「平等にひらかれているよろこび。それは人間の生命そのもの、人格そのものから涌きでるものではなかったか。一個の人間として生きとし生けるものと心をかよわせるよろこび。ものの本質をさぐり、考え、学び、理解するよろこび。自然界の、かぎりなくゆたかな形や色や音をこまかく味わいとるよろこび。みずからの生命をそそぎ出して新しい形やイメージをつくり出すよろこび。―こうしたものこそすべてのひとにひらかれている、まじり気のないよろこびで。」とあります。素敵な表現だなと感嘆しました。この表現はまさしく私の中にもともと存在していたもので、上記に具体的に顕現したことと繋がりさえ感じました。若松英輔さんの言葉を借りるなら、“心の弦”をしっかり弾いてくれたし、生命力さえ漲ってきます。「日々是好日」というのは、どんな日でも“いい日”であるという捉え方の教えです。皆さんは、まさに今を生きています。さまざまなことに“よろこび”を感じられる、そんな感性があったらいいですね。

2021.12.10

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