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ココロのトビラ

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令和4年度に授業で配付している<通心>です。週一で発行予定。
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#オープン学級通信

そだね~(⋈◍>◡<◍)。✧♡

 ニュースで久しぶりに聴いた言葉。そして、教務室に飾られているカレンダーの2月には北京オリンピックのカーリングにおいて史上初銀メダルを獲得したロコ・ソラーレの選手たち。彼女たちが試合中に使用して一躍注目を浴びた言葉で、共通語の「そうだね」に相当する。これは相手に対して同意や共感を示す意味で使われるが、肯定も否定もせずに相手の気持ちをあるがまま受け入れているようにさえ感じる。  著書『まとまらない言葉を生きる』において、荒井氏は日本語には絶対的に励ます言葉は存在しないと述べてい

未来への指標

 映画『ONE PIECE FILM RED』の主題歌であるAdoさんの『新時代』の冒頭部分に「新時代はこの未来だ」とあるが、「この」という“連体詞”は何を指しているのか考えるとやや不思議な想いに駆られる。詩の奥ゆかしささえ感じる。短い文章であるが故に、色々なことが想像できる。そこが詩の面白さだろう。恐らく、短歌なども遊び心満載で愉しんだことも想像に難くない。  また、北校舎の西階段にこっそり掲示したポスターは、図書館のリノベーションを盛り上げることを意図したものだが、「図書

あなたの人生は、あなたが作る。

 あらゆる出来事を契機に自分の在り方を振り返ってみると、改めて初心やら信念は大事だと感じる。だからこそ、どんな「志」を掲げるか。その入口が欠かせない。誰一人として、この先どんな人生が訪れるかは知り得ない。将来どうなるかを心配して入口で躊躇っていても心配の種が増えるだけ。大概、その心配事は起きない。石橋ばかり叩いていたら好機を逸してしまう。そんな不安に思うことに時間を割いてもどんどんその時間が増えるので、如何に楽しい時間を増やすかを考えた方が人生としては実りがあるというものだ。

「感謝する」と、整っていく

 12月に入り、ネックウォーマーをつけて寝るようにしてみた。(ほぼ一日つけていることになる。)寝起きはなかなか調子がいい。肩こりがだいぶ解消されているし、基礎体温も上がった。免疫力を高めるにも体温を上げることは欠かせないのでおすすめ。  小林弘幸著『結局、自律神経がすべて解決してくれる』を読み、交感神経、副交感神経どちらが優位であっても体のバランスが崩れることを知る。車で譬えるなら、交感神経はアクセル、副交感神経はブレーキ。アクセルだけがある車は怖い。ブレーキだけでは走らない

「いのち」を問う

 まもなく映画で公開される『Dr.コトー診療所』は2003年に放送されていたドラマの劇場版。このドラマをBSで久しぶりに観た。当時一度見たときの感覚とは全く違う。様々な経験を経て19年前の私とは異なるのは勿論だが、妻、そして娘がいることが一番だ。守る人がいて、そして家族がある。これらの想いがドラマを観ていると錯綜する。最近ドラマを鑑賞していると、同じ状況に至ったらどう思うだろうかという問いがたくさん湧き上がってくる。  今年1月に「いのち」をテーマとした対話型読書会を主催して

ココロが投影された世界=事実

 想像してみよう。志望校の合格発表当日における自分の様子を。いよいよ、待ちに待った発表される瞬間。いやあ、ワクワクする。さあ、合格して喜んで、未来に想いを馳せているだろうか。はたまた、(想像したくはないが)不合格で落ち込んで声を失っているだろうか。  共通テストまでは50日を切った。これをどう捉えるかという思考は非常に重要。たとえば、コップに水が半分入っている。それを見て、もう半分しかないと考えるか、まだ半分あると考えるか。コップに水が入っているという事実は変わらない。ただ

すべてはひとつ、そしてここにある。

 ヘルメス・J・シャンブ著『“それ”は在る』を読んで、世界とのあわいに周波数を合わせるべく自己対話する。これぞまさしく一元性の探求であると分かった刹那に、昔の番組を想起する。1980年代に放送されていたバラエティ番組『欽ドン!良い子悪い子普通の子』である。父親役の欽ちゃん、そして息子のフツオ、ヨシオ、ワルオとの会話で成り立つのだが、テンポの良さに懐かしさを覚えつつ、クスクスと笑いながら(笑いはいいクスリである)も、いい子ちゃんとか、普通の子とは一体何だろうと改めて考える。結局

運命をどう感じるのか?

 授業「看護総論」において、個々のテーマに基づいて対話を行った。「仲間、友だちと関わることで得られるものはどういうものか。」「向いている仕事、興味のある(好きな)仕事のどちらに就きたいか。」「過去、現在、未来のどれを大切にするか。」どれも哲学的問いであり、興味深くてワクワクする内容なので、対話するには50分では全く足りなかった。しかし、高校生として色々な考えを持っていることに驚きつつ、多面的なまなざしを持ち、相手の意見を受け入れていることに感嘆した。目指す看護師として、否、人

いのちとの出逢い

 韓国ドラマ『トキメキ注意報』『ショッピング王ルイ』を愉しく観終え、日本ドラマ『リコカツ』を家族で観始めているが、人の出会いに“運命”を感じてしまう。まさしく、それは現実でも同じである。一回性の人生において、誰と出会うかはとても大切なことだ。人に限らず、本やモノであってもいい。何であっても、その人の人生においては素敵なこと。しかし、何もせずに待っていたところで人生を変えるような出会いの契機が訪れるわけではない。まずは挑戦的に(自分が思ったように)動き出してみることで、流れが変

ココロは今、熱く動いている

 料理をすることが楽しい。妻の負担を軽くするため作るようになったが、久しぶりに観てキュンとしたドラマ『私の家政夫ナギサさん』(2020年放送)に触発される。ナギサさんの家事力以上に、心温まる雰囲気やら多様なものに対する受容力・共感力に憧れる。大学生のときはレシピ本を見て作ることは殆どなく直観で(目分量で)作っていたのだが、レシピを参考しながら作るのも楽しい。  土井善晴著『料理と利他』を筆頭に、さまざまなジャンルの本やドラマ、そして最近では調理師免許を持つ地歴公民科教員に感化

「本質」はいったい、どこに?

 「今、あなたがやっていること(趣味など)は、好きだからやっているのか。もしくは、楽しいからやっているのか」について、自問してほしい。私は「それがなぜ好きか」と問われたら、少し戸惑い始める。つい好きだからやっていると答えてしまいそうだ。しかし、それを本当に好き、楽しいといえるか。ある程度は説明できるかもしれないが、それは認識(知覚)できることに限る。  誰しも好き嫌い、はたまた得手不得手はあるだろう。心理学では「知覚的流暢性誤帰属説」すなわち“理由は後付け”といえる説があって

自分の色、居場所。

 映画『ガリレオ 容疑者Xの献身』(2008年公開)は、大学生のとき友人であった物理学者と数学者の対決だが、奥が深くて“実に面白い”。ここで、数学者は「四色問題」の美しき解法に挑む。また、ドラマ『オクトー ~感情捜査官 心野朱梨~』では、感情が色で見え、捜査に挑む。近頃、私は色というコトバ(表現)に不思議と意識が引き寄せられる。ところで、今のあなたの感情を色で表現すると何色だろうか。そして、それはなぜだろうか。私は桃色かな、華やか人生で幸せだから。  マザー・テレサさんは「こ

内なる想いを表現する

 「千峯雨霽露光冷」という大燈国師の句に、白隠禅師が「君看双眼色、不語似無憂(君看よ双眼の色、語らざれば憂いなきに似たり)」という偈をつけた。“その目を見てごらんなさい。何も言わなければ憂いなど無いようにみえるだろう”という意味である。雨がたくさん降ろうが降らなかろうが、はたまた温暖化していようがいまいが、現にそれが真実であるかはともかく、自然は何も語らない。すべての状態をありのまま受け入れている。色々と二元的に語るのは人間だけ。  とはいえ、以心伝心やテレパシーの類いはさて

「ない」ことに価値がある

 司書さんが薦める『失われたドーナツの穴を求めて』が教務室前の廊下に展示されていたが、この本を4年ほど前に取り寄せてもらい読んだことがある。ドーナツの穴は、ドーナツがあるからこそ存在できる。穴だけを手に入れることはできない。同じように、表だけのトランプを求めることも不可能だ。つまり、これこそ非二元論の話なのだが、表があれば裏もある。正しいことがあれば、間違いもある。善があれば、悪もある。でも、それらはきっちり分けられるものではなく、常に一如。  この1年間、とりわけ近々の2カ