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ココロのトビラ

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令和4年度に授業で配付している<通心>です。週一で発行予定。
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#コトバ

ココロは今、熱く動いている

 料理をすることが楽しい。妻の負担を軽くするため作るようになったが、久しぶりに観てキュンとしたドラマ『私の家政夫ナギサさん』(2020年放送)に触発される。ナギサさんの家事力以上に、心温まる雰囲気やら多様なものに対する受容力・共感力に憧れる。大学生のときはレシピ本を見て作ることは殆どなく直観で(目分量で)作っていたのだが、レシピを参考しながら作るのも楽しい。  土井善晴著『料理と利他』を筆頭に、さまざまなジャンルの本やドラマ、そして最近では調理師免許を持つ地歴公民科教員に感化

「本質」はいったい、どこに?

 「今、あなたがやっていること(趣味など)は、好きだからやっているのか。もしくは、楽しいからやっているのか」について、自問してほしい。私は「それがなぜ好きか」と問われたら、少し戸惑い始める。つい好きだからやっていると答えてしまいそうだ。しかし、それを本当に好き、楽しいといえるか。ある程度は説明できるかもしれないが、それは認識(知覚)できることに限る。  誰しも好き嫌い、はたまた得手不得手はあるだろう。心理学では「知覚的流暢性誤帰属説」すなわち“理由は後付け”といえる説があって

自分の色、居場所。

 映画『ガリレオ 容疑者Xの献身』(2008年公開)は、大学生のとき友人であった物理学者と数学者の対決だが、奥が深くて“実に面白い”。ここで、数学者は「四色問題」の美しき解法に挑む。また、ドラマ『オクトー ~感情捜査官 心野朱梨~』では、感情が色で見え、捜査に挑む。近頃、私は色というコトバ(表現)に不思議と意識が引き寄せられる。ところで、今のあなたの感情を色で表現すると何色だろうか。そして、それはなぜだろうか。私は桃色かな、華やか人生で幸せだから。  マザー・テレサさんは「こ

おお、本たちよ!

 1994年のインドの地方数学オリンピックにおいて、次の問題が出題された。 “ A leaf is torn from a paperback novel. The sum of the numbers on the remaining pages is 15000. What are the page numbers on the torn leaf? ”  そもそも問題とはいえ、本を破るなんて。現実的に破れていたら、ドラマ『マイファミリー』よろしく「なんでこうなるんだよ~

ココロを表現する

 読書会の選定本であった、上田紀行著『覚醒のネットワーク』のあとがきに「こころはパラシュートと同じだ。開かなければ何の役にも立たないよ」とある。これを他のことで喩えるなら、口を開かなければ、食べ物を味わえない。手を開かないと、物を掴めない。それらと全く同じ表現といえよう。天岩戸に隠れた天照大御神よろしく、隠れたままでは外の世界を見ることも感じることもできない。畢竟するに、心は開いていないと、あらゆる事物を受け入れられないし、“気づき”さえ起こり得ない。  読書会でこんな話が出

いのちある書物

 遅まきながら、劇場版『鬼滅の刃~無限列車編~』を観た。登場人物各々が貫き通す信念の強さをまざまざと感じつつ、あらゆるものに宿るいのちの尊さを改めて痛感させられた。そうだ、長年使っていたバッグのファスナーが予兆なく唐突に壊れた。(今までありがとう!)  さて、この時期は教育実習生の研究授業を拝見することで、得られる学びやらそこで感じた想いを大切にしている。初心を想起し、信念を再燃・活性させることで、励みとなる効果は大きい。とりわけ授業を受ける側の気持ちになって視座を新たにでき

コトバの栽培者

 『現代の超克』の一節にある“文化の栽培者”という表現に心が揺れ動き、“ココロの栽培者”という題をポンと思いつくが、どうも違和感がある。超越していて、まだまだ深遠なテーマである感じがする故に、これからも未知なる道を探究する歩みを進めていこうと思う。とはいえ、この場では何かしら言葉を紡ぎたい。では、我々は何を栽培しているのか、しばらく想起してみよう。  読む、書くことは植物を育てることに似ている。植物を育てるときに、種だけあっても始まらない。土に植え、水をやり、育てていく必要が