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わたしでいること book review
『イルカの歌』
カレン・ヘス・著
金原瑞人・訳
白水社
人はなぜ話すのか。なぜ笑うのか。なぜうれしいのか。よろこびや悲しみを、なぜ感じるのか。いつのまにか読みながら、そんなことを考えていた。
キューバ沖の孤島で野生児が発見された。飛行機事故で行方不明になって、以来14年間イルカに育てられた少女が、沿岸警備隊に保護され人間の世界に戻ってきた。(正確には捕らえられたと言うべきだろう)
彼女はミラと名付けられ、研究のため、また人間に戻るために、ベック教授やその助手のサンディーと暮らしながら教育される。物語はその過程がミラの言葉で語られる。ミラの名前はミラクル(奇跡)から付けられた。
覚えたばかりの少ない言葉で語り始めたミラ。彼女の言葉は文字から確実に聞こえる。私には彼女の声や表情までが、はっきりと目に浮かんできた。
例えば、ベック先生に誉められる。『ベックせんせいがいう。よくできたわね、いいわよ、ミラ。/あたしは、よくできたわねがすき。』と、こんなふうにミラは語る。彼女の言葉は、まるで光の粒のようだ。
文字は大きい平仮名から、漢字の混じった細かい文字に変わっていく。ミラは進歩していく。けれど、進歩につれ自分の置かれている状態も見えてくる。彼女は研究材料で、閉じこめられている。そして人と触れて抱く感情が芽生える。
『ジャスティンといっしょにいると、あたしはうんとうれしくなる。ジャスティンといっしょにいると、あたしはうんとさみしくなる』
ミラは、一緒に暮らすベック教授の息子ジャスティンに好意を抱く。イルカたちの生活に苦しみがなかった訳ではない。何日も水が飲めなかったり、悪くなった魚を食べてお腹をこわしたりもする。けれどそれは、心が痛むこととは違う。
進歩するほどミラの輝きは消えていく。生きる力は失われ、食べなくなり弱っていく。やがて進歩は止まる。そして後退していく。ミラの語る文字は、また大きな平仮名に変わっていく。
ミラは海にもどる。イルカとの暮らしを彼女は選んだ。
赤い夕日が、波だつ海に沈んでいくのをながめている。葉っぱで作った寝床に入り、彼女は長い髪で身体を包む。のどの奥で音をたて、イルカの家族に「おやすみ」をつげる。イルカの1日が終わっていく。
自分で自分を抱きしめていると、ふいに、ひとりでに、過去が押しよせてくる。過去、それはつかのまの人間の日々。いつまでも、いつまでも、自分を待っていたボート。もう少しで引き返しそうになったこと。なにかがたりないような気持。残してきたものを取り戻したくてたまらなくなる。そんな思いを胸に、眠りにつく。
彼女はもうミラではない。イルカの少女でもない。最後に彼女が語るわたしは、しっかりした二本の脚と、強い心臓と、じょうぶな肺を持って、海で生きている、わたし。
この物語は美しい。そして、かなしい。無垢なイルカの少女でなく、わたしとして海で生きる彼女を、私は美しいと思った。