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痛みと、その先にある光と book review 

『紙の動物園』
ケン・リュウ・著
古沢嘉通・編・訳
早川書房

 不思議な物語だった。タイトルの紙の動物は、折り紙の意。作中に描かれている折り紙の動物たちは、鶴も含め私の知っている、いや、知っていると思っていた折り紙ではなかった。別のモノだった。

 例えば折り鶴は、日常様々な場面で目にするし、この国では大概の大人も子どもも折ることができる。でも、本書に描かれた鶴は、見た目が同じでも、それとは違った。この鶴は、ぴんと張った紙の翼をはためかせ、太平洋を渡っていく。命を宿し、亡き人にあてた手紙へと変貌する。

 中国生まれの著者は、十一歳で家族とアメリカに移住した。題材は身近だけれど、物語世界は新鮮だ。捉え方、感じ方の違いだろうか…。背後は、文化そのものかもしれない。

 語り手のぼくは、アメリカ人の父と、中国人の母も持つ。

 ぼくの最初の記憶は、母の折り紙だ。クリスマスギフトの包装紙で、母が作った紙の虎は、背を撫でると喉を鳴らし、指で触れるとじゃれつく。母の折り紙は特別だった。折り紙に、母が息を吹き込むと、生命が宿る。

 虎だけではない。山羊がいて、鹿がいて、水牛がいる。この紙の動物たちは躍動し、リビングを走り回る。アルミホイルの鮫は、金魚鉢の中で暮らしている。ぼくと虎は、金魚鉢の傍に座って、鮫が金魚を追い回している様子を、眺めるのが好きだった。

 紙の動物たちと過ごす日々は、母と過ごす日々でもある。紙の動物たちと遊ぶぼくを、母はどんな気持ちで見ていたのだろうか。

 人は成長する。変化は誰にも訪れる。あれほど、ぼくを虜にした紙の動物たちは色あせ、箱の中へ……。ぼくは本当のおもちゃがほしくなる。例えばそれは、近所に住むマークが持っているスター・ウォーズのアクションフィギュア。

 ぼくの母は中国人だった。ぼくの父はカタログで母を選んだ。ぼくの母は英語が話せなかった。ぼくは母を軽蔑し、嫌った。アメリカで暮らしながら、アメリカ人ではなかったから。中国人だというだけで、嫌いだった。

 カタログで選ばれた母、またカタログで選んだ父、そのどちらも理解できなかった。母は多くは望まず、また父も同じだったのかもしれない。この二人は似ている。

 両親を結んだのがカタログであっても、二人の間に愛はあった。ただ、それを知るには、ぼくは幼すぎた。ぼくが望むアメリカ的な幸せは、中国人の母がいない世界。

 人は変わる。それは、誰にも止められない。

 母の死後、ぼくは紙の動物たちと再会する。そして母の、生い立ちを知る。ぼくへの愛、父への愛、そして母の人生……。

 母の願いはささやかだった。箱を、紙の動物たちを、捨てずに取っておいて欲しい。そして清明節に箱を開け、母を思って欲しい。ただ、それだけ…。

 清明節は死者を慰める中国の祭り。

 屋根裏で箱を見つけたのは、ガールフレンドのスーザンだった。彼女の目に、紙の動物たちはアート作品として映る。

『あなたのお母さんって、すばらしいアーティストだったんだ』

 この言葉を、母が聞くことはない。

 描かれていたのは、普遍的な人の姿だった。避けられない痛みの先に、光も見える。紙の動物たちは、色あせてもなお、光を放つ存在だと思った。

同人誌『季節風』掲載


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