ルナールの猫は謎のまま
猫がすわっている姿を見ると、私はルナールの『博物誌』を思い出す。
そこに彼の猫が登場する。
ルナールの猫は、尻尾で輪を作って、その中に座る、らしい。
最初にこれを読んだとき、その的確な表現に驚いた。
『尻尾で輪を作ってその中に座り、・・』
このくだりを、私は何度も読んだ。
そうか、尻尾で輪を作って、猫はその中に座るのか。
私の頭の中に一連の動作が、そうインプットされた。
その頃、うちに居たキジトラも長い尻尾を持っていた。
訪ねて来る友人たちは、何時も褒めてくれる。
「尻尾が長いなあ」と感心してくれるのだ。
ただ、ルナールの猫とは輪を作る順序が違った。
座った途端に尻尾は脚もとにまとわり、体の一部になった。
そして現在、うちに居る猫のどちらも、やはりルナールの猫とは違う。
ルナールの猫のように、座る前に輪を作ることが出来ない。
どちらの猫も十分な長さの美しい尻尾を持っているのに。
一匹は座ってから、優雅に尻尾で輪を描く。
もう一匹は座ってからも、尻尾を大きくふりまわしている。
彼の尻尾はさんざん床に打ちつけられた後、ゆっくり従うように脚もとにまきつく。身体の一部なのに、意のままにはならないようでもあり、また痛めつけているように見えなくもない。
一連の動きを見ていると、また疑問がふつふつと湧いてくる。
ルナールの猫のように、先に輪を作ることは、本当に可能なのか?
彼らの動きを何度観ても、不可能に近い気がする。
手もとの新潮文庫はボナールの挿絵で、その猫の面持ちは何度見ても強烈だった。
余念なく夢想に耽ると、猫はこんな顔をするのかと、ついつい見入ってしまう。
何か良からぬことをして、満足しているようで、声はかけたくない。
うちの猫に、こんな顔はして欲しくないと思ってしまう。
岩波文庫の挿絵はロートレックだった。
彼の描くルナールの猫は、どんな表情をしているんだろう?
尻尾はボナールのそれと変わらない気がするので、謎はそのまま残ると思う。
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