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何者でもないわたしとして




このnoteは、そのときに感じたことや、過去の経験、ようやく言葉にできそうなことを書き残す場所が欲しくて始めた。

ツイッターはしていたけど、好きなことを、きらきらした気持ちだけを発信したい、と思ってやっている。

でも、毎日は、きらきらした気持ちだけで埋め尽くされるはずもない。

そんな気持ちも、「自分にしかないもの」で、忘れようとなんかしなくていいということをある日教えてもらったことを思い出した。

そんな感じで、始めてみた。








このnoteは、これまでに使ったことのない名前で始めてみよう、と思い立った。


他にも、

個人的な情報に繋がらないように、とか、
現在進行形で使っているSNSとは直接紐付けないように、とか。


とにかく、自由に好きなように思いのまま言葉を書き残せるように。

どういうことかと言うと。見られていることを意識せず、猫かぶりなんてせず、見栄を張らず。そういう風に言葉を残せる場にしたかった。

このnoteは公開されているので「誰か」に見られているものであるのは確かだけれど、「誰かの知っているわたし」として振る舞うことをやめられる場所にしようと思った。

例えば何かに悩んでいるとき。それを真剣に聞いてくれる人はわたしにだっているのに、「あの人も仕事で疲れているだろうし」とか「大変なのはわたしだけじゃないもんなぁ」と躊躇することがある。

でも、ここでは、誰かに届くとかを意識せずに、自分の気持ちをそのまんま、ふわっと投げておくことができる。



そうすると、日々感じていることを言葉にしてみようと思い立ち、これまでの経験を思い起こしてみる機会が増えた。

そして、わたしが何者なのか知らず(それをあえて考えようとすることもなく)、わたしの言葉を見てくれる人がいることを知った。

なんだかいいものだな、と思う。

自分の書いた文章を読んで反応をくれる人がいる事実。実際にひとりでに口角が上がっているんじゃないかと思うぐらいには、嬉しい。

わたしを知っている人から寄り添う気持ちで掛けてもらえる言葉も嬉しい。
その反面で、わたしと言葉とが切り離されていても、いいねと言ってもらえている気分で。








わたしの頭の片隅にはいつも、「自分らしさってなんだろう?」とか「わたしにしかないものってなんだろう?」がある。

周りの人がすごく見えて、自分はなんてフツーなんだろう、と思うことが何度もある。

わたしといえばコレ。
というものが欲しいと常々思う。



ここで、自分の感じたことを、どれだけ小さなことでもマイナスなことでも、言葉にしていきたい。

そうやって、「誰かのイメージ通りのわたし」をやめてみたら、わたしらしさが少し見えてきた。