「大崎、半端ないって!」パートⅤ
私は「室園 和隆(むろぞの かずたか)」と申します。
大崎町役場では農林振興課に勤務していて、米の需給調整(難っ!)やグリーンツーリズムなどを担当しています。
移住ドラフト会議では盗塁王として、ひとつでも先の塁を狙うがごとく、どんどん先を目指していこうと思います。
さて、幸先よく始まった「半端ないって」シリーズも、お盆時期に突入した現在では完全に「死語」&「時期外れ感」が満載です(困)
しかしながら、今さらやめるわけにもいかず、「路線変更」「スクラップ&ビルド」というまさに行政が苦手とする局面に差し掛かっています(涙)
そんな厳しい局面ではありますが、こういう時だからこそ「移住ドラフト」という初心に立ち返り、わが町の「移住」と「ドラフト」にスポットを当てたいと思います。
半端ない その1
「移住の歴史は300年以上前から」
大崎町野方地区には「荒佐野(あらさの)」という地域があります。
今から300年以上も前の江戸時代、幕政に馴染めない大坂の人たちが新天地を求め、佐野浦(現在の大阪府泉佐野市)から佐野の豪商食野家が所有する千石船に乗り、現在の大崎町野方地区に移住したそうです。
慣れない環境の中、移住者はよく働き、多くの土地を開墾し、大崎の方々は荒野を開墾してくれたことに感謝し、その土地は「荒佐野」と呼ばれ大隅の中でも最も肥沃な畑地の一つとして発展しました。
写真は荒佐野移住300年を記念して開催されたお祭りです。
大崎町と泉佐野市では、このような繋がりを今後も大切にしていきたいと考え、「歴史的ご縁が結ぶ地域産業の活性化協力協定」の締結を行い、交流を積極的に推進しています。
300年以上も前に大崎町に移住してきた人々
→その子孫が今の大崎町を創っている
→今の大崎町民が移住ドラフト会議で移住者を求めている
歴史は繰り返すと言いますが、深いですね~。
ご先祖様は「移住ドラフト」をどんな風に見てるんでしょうか?
半端ない その2
「ドラフトといえばプロ野球!」
この写真は、約20年前の「広報おおさき」の1ページです。
阪神タイガースの福留孝介選手(当時は社会人野球日本生命に所属)、広島東洋カープの松山竜平選手(当時は小学6年生)、埼玉西武ライオンズの榎田大樹選手(当時は小学5年生)が同じ写真に写っているという貴重なものです。
当時社会人選手だった福留孝介選手がアトランタ五輪の日本代表として選出され、地元で壮行会が行われた際に、出身の「大崎ソフトボール少年団」のちびっ子たちと撮った記念写真ですね。
その後、
福留孝介選手 1998年 中日 ドラフト1位
松山竜平選手 2007年 広島 ドラフト4位
榎田大樹選手 2010年 阪神 ドラフト1位
と本当の(!)「ドラフト会議」で指名を受けています。
ちなみに3選手を指導したのは、福留選手の右側に写っている新留勝郎監督。実はこの方、当時は役場職員で私たちの先輩なんです。しかも学生時代は剣道をしていたらしく、ソフトボールの指導は初心者だったとか。
マジ、半端ないって!
またもう一人、大崎町からは
赤田将吾選手 1998年 西武 ドラフト2位 がいます。
現在は埼玉西武ライオンズの二軍打撃兼外野守備・走塁コーチを務めていらっしゃいます。
赤田選手が2位指名されたときの1位は、あの松坂大輔投手で、キャンプ地である日南市の南郷プリンスホテルのレストランでは
「牛は松坂、ワインは赤田」というキャッチコピーがあったとか。マジか!
人口約13000人の町から4人のプロ野球ドラフト指名選手を輩出!
マジ、半端ないって!
今度は私たちが大物ルーキーを指名しようと思います!