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「執着」について考えてみた
こんばんは。
今回はこちらの記事の続き。
前回は、「理想の人生とは」ということを考えて行った中で、
『人と適度な距離をとれる人生』
では、適度な距離とは?を考えた時に出てきたのが、
「依存や執着をしない関係」
と、いうわけで前回は『依存』について整理してみました。
と、いうわけで今回は自己の経験から考える『執着』についてです。
そもそも『執着』とは?
執着とはそもそもどのようなものでしょうか?
調べてみると・・・
「特定のものや人に感情が捉われること」
だそうです。
ちなみに、仏教だと「煩悩の一つ」に数えられるそうです。
・・・煩悩って聞くと急に深刻さが増しますね。汗
まぁ、人間なので皆さん経験のあることでしょうし、
振り返ると自分は「執着の連続」だったなと思います。
ただ、そこが最近になって払拭が出来てきたなという感じ。
それは、「なぜ自分が執着していたのか?」の原因の源、
いわゆる『メンタルブロック』がハッキリしたからです。
なぜ、「執着」していたのか
自分の場合は依存の時と似ていて、
『かけてきた時間を無駄にしたくない』
と、いう『損得勘定』がまず第一。
自分が損したくないから=かけた分のリターンが欲しい
だから、リターンが得られないとなると、
損したくないから相手に『執着』をするわけ。
もう一つは、少しベクトルが変わって・・・
『相手の想いに寄り添いすぎてしまう』
要は感情移入し過ぎてしまうということ。
意外に思われるかもしれないけど結構「純粋」だったりするわけ笑
なので、ちょっとした一言や、
本人は実際そこまで思っていないことに対しても、
常に100%で寄り添いすぎていた。
100%寄り添った時に相手が本心じゃなかったりすると認識に大きなズレが生じたてしまう。
そのズレに気付かぬまま、「え?こうしたいんじゃないの?」
「なんとしてでもこっちに持って行かないといけない!」
と、猪突猛進で執着しながらそこに向かおうとするわけ。
で、結果うまく行かなくてモヤモヤ・・・。
『依存』や『執着』が払拭できた理由
結論、『自分を大事にすることができた』から払拭できました。
なぜ、『依存』したり『執着』してしまっていたかというと、
『自分自身を蔑ろにして、自分に余裕がなくなっていた』
それこそ、前回書きましたが
寝る時間も惜しんで話を聞いたり、
相手の時間を確保してあげるために食事や風呂の時間も犠牲にしたり。
なので、正直、そりゃ『依存』も『執着』もするだろうし、
『損得勘定』だって出てくるわ笑っていう
そして、ここまで聞くと『損得勘定=悪』と思いがちだけど、
自分は絶対悪だと思っていなくて、もしこの感覚がなかったら
生き物として生きていけないし、必要なものだと思っています。
ただ、バランスは大事。
それは『損得勘定』においてもそうだし、
『相手にかける想い』もそう。
その時に自分自身を大事にして、常に良い状態に持ってくることが出来れば
『依存』しなくても自分自身がまず幸せだし、
『執着』する必要がなくなるわけ。
自分が満足してる状態だから、別に『損得勘定』を強くする必要もない。
なので、自分の中で出た結論は・・・
『人と適度な距離をとれる人生』
➡︎「依存や執着をしない関係」
➡︎「自分自身を大事に出来ている自分軸がしっかりしている」
➡︎「自分自身の心に余裕があり、バランス感覚が取れている状態」
『自分を大事に出来ている=人と適度な距離が取れている理想の人生』
実は答えはシンプルだった・・・ってことなんですね。
そうなると、やることがスッキリされて
『自分自身の状態を良くする』
これが大事なんだと改めて知ることが出来たわけです。
ぜひ、皆さんの考えも聞かせてくれると嬉しいです(^^)
これはあくまで自分の答えなので!
ではまた!